「職人」的な存在だった、かつての画家・彫刻家
絵を描く人や彫刻を作る人は、昔から数多くいました。しかし、彼らは芸術家というよりも、職人というべき存在でした。――では、近代に現れた「芸術家」と「職人」との違いは何なのでしょうか。大きく異なっているのは、「制作目的」です。仮に、両者の成果物が結果的に似通ったものになったとしても、その背景にあるものが大きく違うのです。
芸術家とは内なる欲求に突き動かされて表現をするものですが、職人は他者からの注文を受けて、それに応えるために制作を行います。もちろん、100%の芸術家とか、100%の職人といったものは存在しません。どのような芸術家にも、職人的に他人の需要に応えようとする部分はありますし、職人だって、発注者からの注文が曖昧な点に関しては自らの好むような表現で補おうとするものです。
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しかし、その人が主に芸術家として表現をしているのか、それとも主に職人として制作をしているのかで、アイデンティティや生き方に差が出てきます。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロといったルネサンスの三大巨匠は、基本的には職人でした。彼らの作品はすべて、貴族やパトロンの依頼を受けて制作されたもので、相手の注文や好みに応える形で修正もされています。
また、美術に興味がない素人に、ダ・ヴィンチとミケランジェロの絵を見せて、どれを誰が描いたか当てさせようとしても、恐らく正解は得られないでしょう。愛好家であればすぐにわかる違いも、門外漢には同じようなものに見えるはずです。なぜならば、どちらもルネサンス様式という枠組みの中で描かれているからです。それは、パトロンが職人に対して要請する様式でもありました。
これに対して、20世紀の画家――たとえばゴッホとピカソの絵を見比べてみれば、美術に興味がない人でも、その違いはすぐにわかるはずです。どの絵にも、ゴッホらしさやピカソらしさが厳然と存在するからです。例外はいくつか存在するものの、ゴッホやピカソは、基本的に誰かの注文で絵を描いていたわけではありません。ゴッホは生前ほとんど評価されなかった画家であったため、その絵のすべてが、誰に頼まれたわけでもなく、ゴッホ自身の内なる欲求に突き動かされて描かれたものです。
ピカソはゴッホと違って人気画家でしたが、「あれを描いてくれ、これを描いてくれ」といった注文に応じることはありませんでした。たとえ何らかの注文を受けて絵を描いたとしても、飾る場所や抽象的なテーマが与えられるくらいで、その中身はまったくのオリジナルでした。ですから、しばしば発注者との間で「こんなものがほしかったわけではない」といった諍いが起きたそうです。たとえば、ピカソが若くして亡くなった友人のギヨーム・アポリネールのために制作したモニュメントは、遺族らによって拒否され、受け取ってもらえませんでした。
画家が自らのために描き、それが商品となる世界へ
このように、芸術家は己の心の赴くままに表現をし、職人は依頼主の望みにかなうように制作をします。そして、近代以前には、ほとんどの画家が職人的性質を強く持っており、自らを芸術家とは認識していませんでした。なぜならば、自分の好き勝手に絵を描く芸術家には需要がなかったからです。
そもそも絵に対してどのような需要があったかといえば、壁画や、壁に飾るインテリア、書籍の挿絵、皿やコップなどの陶磁器の絵付けなど、建築物や工芸品などの添え物としての役割です。絵画を単体で鑑賞するというのは、貴族の趣味であり、肖像画というものも、もっぱら王侯貴族のナルシシズムを満足させるための装飾品でした。自分の内面を表現するような芸術家という概念が存在しなかった時代には、画家は、もっぱら職人として生きるしか道がありませんでした。
もちろん、その時代にも、内的欲求から暇な時間があれば絵を描かずにはいられない画家も大勢いたことでしょう。しかし、彼らにとって絵を描くことは「仕事」であり、あくまでも職人に徹していたのです。ルーベンスやベラスケス、ゴヤは、宮廷画家という肩書で仕事をしていました。
しかし、19世紀からのフランス近代絵画の発展は、画家に自由に絵を描く喜びを与えました。印象派から始まる近代絵画の革命は、画家が自分のために絵を描いて、なおかつそれが商品として成立する世界を切り拓いたのです。現在、芸術家が芸術家として生きていけるのも、すべては19世紀フランスにおける近代絵画(モダン・アート)の誕生に端を発しています。
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ですから、フランス近代絵画は現代におけるモダン・アートの源流であると同時に、フランス革命を背景として、私たちが個人としての尊厳を持って生きることをも教えてくれるものなのです。