今回は、「あじわう【味わう】」を解説します。※本連載は、元小学館辞典編集部編集長で、辞書編集者として多数の辞書作りに携わってきた神永曉氏の著書、『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信出版局)の中から一部を抜粋し、変化し続ける「ことばの深さ」をお伝えします。

平安時代の辞書『類聚名義抄』にも掲載された古い記述

あじわう【味わう】〔動ワ五(ハ四)〕

 

「味あう」と言う人は江戸時代からいた?

 

「秋の味覚を味あわないなんてもったいない」と言う人がいるらしい。いったいこれの何が問題なのかおわかりであろうか。「味あう」の部分である。

 

言うまでもなく「味わう」が正しく、「秋の味覚を味わわないなんてもったいない」と言うべきなのである。

 

本来の言い方である「味わう」は、古くは「味はふ」と表記されてきた。「はふ」は、動詞「はう(這・延)」から生まれた語だと考えられていて、名詞などについて、その状態が進展する、あるいは、その状態を進展させる意を表す接尾語である。「にぎわう」の「わう(はふ)」も同様である。

 

「味わう」の例はかなり古くからあり、平安時代の漢和辞書『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)(観智院本)』にも「味アチハフ」とある。

 

仮名遣いに関して言えば、「あじはふ」の「はふ」が「わう」になるのは自然の流れであるため「味わう」と変化したのだが、いつの頃からか「味あう」という別の発音が生まれる。「はふ」は「アウ」という発音にもなりやすいようで、「にぎはう(賑)」も本来は「にぎわう」だが、「にぎあう」も見られる。

 

「味あう」が生まれた時期は、「味はふ」が「味わう」になってからなので、比較的最近のことだと考えられている。

「味あう」が見出しにある『日本国語大辞典』

ところが、『日本国語大辞典(日国)』には本来の言い方ではない「味あう」が見出しとして立てられていて、しかも以下のようなかなり古い例が二例、載せられているのである。

 

A「くちにあぢあふ所をばなむべからず」(彰考館本 寝覚記〈鎌倉末〉下)

B「あぢあふやひとくひと口鶯菜〈吉連〉」(俳諧・口真似草〈1656〉一)

 

Aの『彰考館本寝覚記』の成立は鎌倉末とあるが、写本で伝わることの多い古典の場合、仮名遣いはそれが写された時代の仮名遣いが反映されている可能性も否定できない。この『彰考館本寝覚記』は近世初期の写本だと推定されている。

 

ところが『日国』の「味わう」には、「口にあぢはふ所をなむべからず」(ねさめの記〈鎌倉末〉三)というAとほとんど同じ例が引用されている。実はこの『ねさめの記』とは、「寝覚記」の別の写本なのである。こちらの底本は、石川県立図書館蔵本で近世末期の写本である。

 

Bの俳諧『口真似草』の「ひとく」はウグイスの鳴き声。「鶯菜(うぐいすな)」はコマツナ、アブラナなどのまだ若くて小さい菜のことである。

 

Aの例は誤写の可能性も否定できないが、Bの例は明らかに「味あう」の例であろう。だとすると、新しいと思われていた「味あう」は、少なくとも江戸時代にはそう言っていた人がいたと考えることができそうである。

 

もうひとつ、江戸時代のものではないが、「味あう」は「味合う」だと思っている用例を紹介しておこう。中里介山『大菩薩峠』(1913〜41年)の「白根山の巻」にある例である。

 

「大門口の播磨屋で、二合の酒にあぶたま(=油揚げを細く切り、とき卵を混ぜて、しょうゆで煮たもの)で飯を食って、勘定が百五十文、そいつがまた俺には忘れられねえ味合だ」『大菩薩峠』も決して最近の使用例とは言えない。

 

ことばを言いやすいように変化させてしまうのは現代人の専売特許ではなく、古くから行われてきたということなのである。

 

□揺れる読み方

 

凡例の読み方はこちら

さらに悩ましい国語辞典

さらに悩ましい国語辞典

神永 曉

時事通信出版局

朝日、読売、クロワッサン、各地方紙が絶賛! 新聞各紙コラムに引用された「悩ましい国語辞典」(5刷)の第2弾! 日本最大の辞書「日本国語大辞典」編集者はまだまだ悩んでいる! 言葉の謎はさらに深まる! そんたく…

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