「自由貿易こそが人類の目指すべき方向」
今日、国際貿易の原則は自由貿易であり、「自由貿易こそが人類の目指すべき方向」であるとされています。その根拠となっているのが、この比較生産費説です。その意味で、比較生産費説は国際貿易のあり方を示す灯台のような役割を果たしているといえるかもしれません。もし、関税をかけたり輸入制限をしたりして保護貿易を行なえば、国内価格が上昇し、消費者は不利益を被ります。つまり、消費者余剰(筆者著書『意味がわかる経済学』65ページにて詳述)が小さくなってしまいます。だから、貿易をする場合は、関税をかけない自由貿易が望ましいとされるのです。
一見すると難しそうな比較生産費説ですが、実はこれは「当たり前の議論」ともいえます。なぜなら、私たちは日常生活のなかで、無意識のうちに比較生産費説に基づいた行動をしているからです。たとえば、学校の先生はそれぞれの専門科目に特化して教えています。企業は製造する人と販売する人を分け、さらに細分化して分業を行なっています。一人で全部を行なうより、みんなで分業をしたほうが効率的であるということは、ごく普通に見られることです。ただ、リカードのすごいところは「絶対優位」ではなく「比較優位」がある場合にも生産効率が上がることを発見した点です。
慣れた仕事を離れ、まったく別の職業に就けるか?
リカードの比較生産費説は、論理的には文句のつけようがありません。しかし、いくつかの問題点があることも忘れてはなりません。
第一に、労働や資本移動はほかの産業にスムーズに転換できないという点です。たとえば、先の例でいえば、ポルトガルの毛織物工場は全部閉鎖され、労働者はぶどう酒生産に移動させられます。同じくイギリスのぶどう農家やワイン工場で働く人は、すべて毛織物工場に移らなければなりません。
比較生産費説では、生産効率が悪い産業がつぶれても、比較優位を持っている産業がこうした資本や労働力を吸収してくれるとしています。しかし、30年間農業一筋でやってきた人が、工場労働者としてやっていけるでしょうか。実際には産業がたくさんありますから、もう少し広い産業分野から自分に合った仕事を見つけることになるのでしょうが、それでも、慣れた仕事を離れ、まったく別の職業に変わるというのは並大抵のことではありません。
リカードの比較生産費説はこうしたコストをすべて無視しています。日本の農業とTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の問題を考える場合でも、こうした視点は重要です。