前回は、早期治療や先進治療が「万能」とはいえない理由を説明しました。今回は、余生を過ごすうえで持っておきたい「自分の軸」について見ていきます。

生き方を決めるのは最終的に自分自身

樹木さんは、自分自身で自分の体調変化に気づけました。そしてその後は、自分の判断で治療方針を立てたそうです。「自分の病気を医師任せにせず、自分で治す」という姿勢は、とても素晴らしいものだと思います。

 

自分の生き方は、最終的に自分が決めるべきです。例えば、抗がん剤治療や放射線治療を受け、苦しみながら長生きを目指すのも一つの生き方でしょう。一方、苦しい治療はできるだけ拒否し、短くても充実した人生を送るのも、立派な選択です。

 

この「太く短い余生」を選んだのが、次に紹介するDさんです。

「好きなタバコを好きなだけ吸う」生き方もある

●Dさんの場合

 

[プロフィール]66歳女性。20代で結婚して男の子を授かるが、30代のときに離婚。さまざまな仕事を転々としながら子どもを育てた。40代なかばで子育てを終えた後で、「燃え尽き症候群」のようになってうつ病を発症。その後は生活保護を受けながら暮らしている。

[家族構成]40歳の息子が近県に住んでいる。孫が2人おり、時折遊びに来ることも。

[経済状況]預金はゼロ。生活保護費と年金を合わせ、月に12万5000円を受け取っている。

 

Dさんは、私が定期的に往診している患者さんです。出身は九州で、そこで前夫と結婚して一人息子を産みました。その後、前夫の暴力が原因で離婚。知り合いのつてを頼り、息子を連れて名古屋に移り住んできました。

 

Dさんは子どもを育てるため、必死に頑張ったそうです。おかげで息子は、無事に高校を卒業して独立することができました。ところが、それまでの反動が出たのか、Dさんはうつ病になってしまいました。仕事は退職に追い込まれ、家賃の安い市営住宅に引っ越し。当初は貯金を取り崩して生活していましたが、それも限界に達して生活保護を受けることになりました。

 

Dさんは、うつ病になった頃からタバコを吸い始めました。ギリギリの暮らしのなかでも、タバコだけはやめられなかったといいます。心身共に傷ついていたDさんにとって、タバコだけが癒しだったのでしょう。当時から、食費を削ってでも1日1箱のタバコ代は確保していたそうです。

 

64歳になったとき、Dさんは子宮がんだと診断されました。当初は医師のすすめに従って入院をしました。ところが、がんは子宮以外にも転移しており、手術や抗がん剤治療などをしても、治療は難しいという結論に達したのです。

 

その診断を聞き、Dさんは退院を決意しました。病院は全面禁煙。入院している間は、大好きなタバコが一切吸えません。どうせ限りある人生なのだから、家に戻って好きなタバコを楽しみながら最後の時間を楽しみたいとDさんは考えたのです。

 

往診に訪れると、Dさんはいつもタバコを美味しそうにふかしています。私が「最近、タバコも高いんでしょ。ちょっとは本数を減らしたら?」と聞くと、「タバコをやめて長生きするより、今の暮らしの方がずっと楽しいのさ」と笑います。

 

医師の立場からすると、いつまでも禁煙しないDさんは、決していい患者とはいえません。しかし、「タバコのない長生き人生」と「タバコを吸える人生」を秤にかけ、自分の意思で後者を選んだDさんの生き方は、一人の人間として尊重したいのです。

 

自分の生き方を決められるのは、自分だけです。その軸をしっかり持つことは、高齢者にとって何より大切なのではないでしょうか。

本連載は、2016年9月10日刊行の書籍『長寿大国日本と「下流老人」』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

長寿大国日本と「下流老人」

長寿大国日本と「下流老人」

森 亮太

幻冬舎メディアコンサルティング

日本が超高齢社会に突入し、社会保障費の急膨張が問題になっている昨今、高齢者の中で医療を受けられない「医療難民」、貧窮する「下流老人」が増え続けていることがテレビや新聞、週刊誌などのメディアでしばしば取り上げられ…

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