母の通帳に残っていた、姉と甥への鉛筆書き
「入院費のこともあるから、通帳を預かっておいてくれる? 居間の棚の引き出しに入っているから」
58歳の裕美子さんは、入院準備を手伝うために訪れた実家で、82歳の母からそう頼まれました。がんが見つかり、手術を受けることになったのです。
母は父と死別し、東京都下の戸建てで一人暮らし。遺族年金を含む月約17万円の年金で暮らしています。
裕美子さんは都内で60歳の夫と暮らしています。夫は大手企業を定年退職後、再雇用で収入が大きく下がりました。派遣社員の裕美子さんの手取りは月約18万円。住宅ローンは約800万円残り、夫婦の貯蓄は約1,500万円です。現在31歳の長女と27歳の長男を私立大学に通わせていた時期は、学費の工面に追われました。
母からは「あなたのところは心配ないわね」といわれてきました。悪気はないとわかっていても、少し引っかかっていました。
61歳の姉は、実家から車で20分ほどの賃貸マンションに住んでいます。離婚後、36歳の長女と29歳の長男を一人で育てました。母が姉を気にかけるのも理解できます。
引き出しには、いまの通帳の下に古い通帳が数冊、輪ゴムで束ねてありました。現在の残高は約700万円。古い通帳には、まとまった出金の横に鉛筆で「引越し」「大学」「留学」と書き添えてあり、姉や甥の名前もありました。
「これ、お姉ちゃんたちに渡したお金?」
「そうよ。あの子、一人で頑張ってきたでしょう。私から出してあげるといったの」
生活の立て直しや甥と姪の進学、甥の留学。ほかの援助も合わせて約500万円だといいます。自分たちは学費を工面してきた一方、姉一家は母の援助を受けていた。胸の奥がざわつきました。
それでも気になったのは、母自身のこれからです。
「退院したあとの暮らしや、介護が必要になったときのお金は考えているの?」
「年金も貯金もあるでしょう。住む家だってあるんだから」
「ここで一人で暮らせなくなったら? 家を売って、そのお金を使うことも考えている?」
「この家は、できればお姉ちゃんに残してあげたいの。あの子はずっと賃貸でしょう」
「じゃあ、貯金で足りなくなったら?」
「そのときは、あなたにお願いすれば大丈夫だと思っていたから」
裕美子さんは確信しました。母は、年金や貯金で足りなくなれば、私が支えるものだと思っている――。近くに住むバツイチの姉には援助をし、家も残したい。一方で、これからの生活は、電車で1時間半かかる私を頼りにしている。裕美子さんがどこまで引き受けられるか、母から確認されたことはありません。
「実家になんて帰らなきゃよかった」。一瞬、そんな思いがよぎります。
