▼理髪外科医院
下女「こ、こ、こちらが……帳簿です……。それから、請求書と領収書の束が……こちらに……」
ドサドサッ
黒エルフ「1週間分とはいえ、それなりに量があるわね」
女騎士「領収書の内容を確認したが、記入漏れはなかったぞ」
下女「領収書を……な、失くしたの、でしょうか……?」
黒エルフ「もしも領収書を紛失していたならお手上げだけど……。まずは他の可能性から潰していきましょう」
下女「他の可能性ですか?」
黒エルフ「記入漏れや、領収書の紛失の他にも、残高が一致しなくなる場合があるのよ。そういう可能性を1つずつ検証していくの」
下女「はぁ」
黒エルフ「たとえば、一致しない勘定科目は『現金』だけだった? 売上票の金額とか、当座預金の残高とか……現金以外にも帳簿と一致しない勘定科目はなかった?」
女騎士「売上票の金額はぴったり一致しているぞ」
下女「と、当座預金の残高は……銀行に問い合わせないと、分かりません……。そ、それに……買掛金の残高は、月末に請求書が届くまで……不一致を確認できません」
黒エルフ「なるほど。今は月の半ばだから、正確な残高が分からない勘定科目もあるわね」
女騎士「となると、やはりカネを恵んでやるほうが早いのでは……?」
黒エルフ「諦めるのが早すぎ。次はあんたを疑いましょう」
女騎士「私を疑う?」
黒エルフ「あんたの教えた帳簿のつけ方が、間違っているのかもしれないわ」
下女「そ、そうなのですか……?」
女騎士「ぐ……」
黒エルフ「女中さんにどんなことを教えたのか、もう一度説明しなさい。正しいかどうか確認してあげるわ」
ぱらぱら……ぴたっ
黒エルフ「たとえば、帳簿のここに書いてある取引はどう?」
下女「銀行から現金を借り入れたときの仕訳ですね……」
女騎士「ごく基本的なことなのだ! 現金を借方に、借入金を貸方に記入する。返済したときは逆になる」
黒エルフ「正解」
女騎士「この程度、朝メシ前なのだ」
黒エルフ「……あら? この理髪外科医院も『当座借越』の契約をしているのね」
下女「と、当座借越……?」
女騎士「当座預金の残高を超えて小切手を振り出せる契約のことだ」
下女「……こ、小切手は……当座預金の残高までしか振り出せないはずでは……?」
黒エルフ「例外があるのよ。たとえば、うっかり口座残高を越えた額の小切手を振り出してしまったとするでしょう? 小切手を受け取った人は銀行で現金化できず、あなたの信用はガタ落ちになるわ」
下女「こ、困ります……」
黒エルフ「そんな場合に、銀行がお金を立て替えて払ってくれる契約があるの。それが当座借越契約よ」
女騎士「この理髪外科医院も当座借越を利用していたのだ。たとえば、この取引だ」
黒エルフ「買掛金を支払うために5千Gの小切手を振り出したけど、当座預金の残高が3千400Gしかなかったのね。不足分1千600Gが当座借越になるわ」
下女「で、でも……翌日にはお金を振り込みました……!」
女騎士「帳簿のここに記してある」
黒エルフ「なるほど、現金5千600Gを振り込んだのね。当座借越は負債の一種だから、まずはそれを返済して、残りが当座預金に加えられるわ」
女騎士「どうだ、きちんと記帳できているだろう」
黒エルフ「ええ。ここまでは『正しい帳簿のつけ方』になってるわ。意外なことに」
女騎士「意外だと」