ゴールドオンライン新書最新刊、Amazonにて好評発売中!
富裕層の資産承継と相続税 富裕層の相続戦略シリーズ【国内編】
『司法書士が全部教える 「一人一法人」時代の会社の作り方【実践編】』
加陽麻里布(著)+ゴールドオンライン (編集)
『富裕層が知っておきたい世界の税制【カリブ海、欧州編】』
矢内一好 (著)+ゴールドオンライン (編集)
シリーズ既刊本も好評発売中 → 紹介ページはコチラ!
ヘルメット製造のきっかけは「旅館経営」
創業者の鎌田栄太郎が、1954年にポリエステル加工メーカーとして鎌田ポリエステルを創業。1959年に法人化して昭栄化工株式会社を設立し、一般作業用のヘルメット生産に着手した。バイク用ヘルメット製造に乗り出したのは1960年のこと。
当時、鎌田は新橋で旅館も経営していたが、出張などでこの旅館を利用していたホンダの社員から、外国製ヘルメットに対する不満を聞いたことがきっかけでバイク用ヘルメットを製造するようになった。1963年には、早くも最初のレース用ヘルメット「SR‐1」を世に出す。
ヘルメットの売上が増加したのは、1972年に道路交通法が改正されて、自動二輪車の運転でヘルメット着用が義務づけられてからだ。
1980年代から1990年代初めまで、SHOEIは多くの有名ライダーとスポンサー契約を結び、彼らをサポートしていた。また、当時は空前のF1ブームでもあり、SHOEIは四輪用ヘルメットも開発し、アラン・プロストやアイルトン・セナ、ジャン・アレジ、ミハエル・シューマッハ、鈴木亜久里などの四輪トップドライバーとも次々と契約を結んだ。
ライダーたちの活躍もあって絶好調に見えたSHOEIだったが、じつは危機的な状況を迎えていた……。
1992年、ワンマン経営の崩壊で事実上の“倒産”を経験
1992年5月12日、SHOEIは東京地裁に会社更生法の適用を申請し、事実上倒産した。当時の新聞では、「岩手工場建設で借入金の金利負担が増加して資金繰りに行き詰まった」と報道されたが、資金繰りだけが原因ではない。オーナー社長のワンマン経営が原因で破綻したのだった。
SHOEIは80年代後半から90年代にかけてナンバー1ブランドにあぐらをかき、つくれば売れるとばかりに大量に生産して在庫の山を築いた。さらに超有名ライダーとの契約など、広告宣伝費の負担が膨大だった。
身の丈に合わない経営をしていたのだが、社員はオーナー社長に意見を言えず、不満のある優秀な社員は次々と退職していった。
更生法の適用後は三菱商事の支援で再建を進めた。三菱商事が新社長として送り込んだ山田勝は、商社マンではあるがトヨタ生産方式を信奉しており、トヨタ生産方式で経営改善に取り組んだ。
老朽化した東京工場の閉鎖、作業員の多能工化、材料在庫の整理などを進めたほか、人事制度の改定を行った結果、倒産から6年後の1998年3月には更生手続きを完了。当初は2003年9月に完了する計画だったので、5年半前倒ししたことになる。
2004年7月にはジャスダックへ株式公開し、2022年4月には東京証券取引所1部からプライム市場に移行して現在に至る。長年にわたって経営効率化に取り組んだ結果、現在では有利子負債ゼロ、自己資本比率87.1%という超優良財務企業だ(2025年7月末時点)。
