東京はうんざり…生まれ故郷へのUターンに踏み切ったワケ
北関東の山間の小さな町で生まれたA子さん(51歳)は、大学入学を機に単身で上京しました。親からの仕送りで4年間の学生生活を送るなか、離れてみて初めて「私、こんなに地元が好きだった?」と気づかされたと言います。
最初の数ヵ月は実家に帰りたくてたまらず、地元の大学に進学した友人と連絡を取るたびに「羨ましい、自分も地元の大学にすればよかったかも」と零していました。
少しずつ言葉の訛りが抜けて東京の生活に慣れてきても、心の奥底にある「地元が一番」という気持ちは変わりません。夏休みや年末年始に帰省するお金を貯めるため、アルバイトにも精を出したと言います。
当時はバブル崩壊で景気は最悪の時代。地元に帰っても就職はより厳しくなると考え、そのまま東京の会社に事務職として就職しました。その後、30代で結婚し40代で離婚。子どもはおらず、そのまま50代を迎えました。
大きな病気をしたわけではありませんが、ここ数年は体力の衰えを強く感じるようになりました。毎朝詰め込まれる満員電車、休日の街は人だらけでカフェに入るのも一苦労です。
長く在籍している職場の陰湿な人間関係にも疲れ果てていました。人が入れ替わり、今や自分は古株。何か意見を言おうものなら、若手からの「お局様がまた何か言ってる」という冷たい視線を感じ、心身共に消耗していました。
そんなとき、久々に訪れた地元。すでに両親は他界していて実家はありません。それでも、昔の雰囲気のままの町を歩くと気持ちが落ち着きました。旧友の多くは結婚などで町を離れていましたが、数人残っている人たちに会い、昔話に花が咲きました。
そうした中で、「空気のいい地元に戻り、ゆったりとした時間の中で生きるのもいいのではないか。狭いベランダで野菜を育てるより、畑をやってみたい」……そう思ったA子さん。
東京での年収は470万円程度。堅実な性格で、コツコツ投資したお金、親から受け継いだ遺産を合わせると、3,000万円ほどの資産がありました。仮に収入が半減したとしても、お金を使う必要がない田舎ならば、慎ましく生きていけるのでは。そう考えました。
ちょうど賃貸マンションの更新年だったことも、A子さんの決断を早くしました。休日に何度か地元に足を運び、住まい探しと転職活動を並行。中古戸建を購入し、5カ月後にはUターン移住を果たしたのです。
