遺言書がない場合は法定相続が原則だが・・・
前回の続きです。
≪トラブル診断≫
もちろん銀行が嘘をついているわけではありません。預貯金だけでなく夫のAさん名義の宅地建物の名義を妻のBさんが相続を原因として自分の名義に変えようと法務局に行ってその手続きをしようとしても相続人全員による遺産分割協議書を出すように言われるでしょう。
人が亡くなったら相続が開始します。遺言書が書かれていない場合は、法定相続が原則ですから、相続人が誰であるかを確定するため、銀行等も亡くなった人の戸籍の履歴をたどることになります。必要な戸籍謄本の提出を求めるのはそのためです。
本件の夫Aさんにもし子どもがいたなら、その子どもが第1順位の相続人であり、その子と妻のBさんが夫Aさんの相続人になりますが、子がいない場合は第2順位の相続人は親となります。夫Aさんの親が存命ならその親と妻Bさんが相続することになります。妻であるBさんの相続割合は3分の2で、親の相続割合は3分の1となります。
夫Aさんの親が既に亡くなっているなら、夫Aさんのきょうだいが第3順位の相続人として浮かび上がり、きょうだいと妻のBさんが相続することになります。その場合の相続割合は妻のBさんが4分の3、残りの4分の1をきょうだいが相続します。
本件の場合夫Aさんのきょうだいは3人ですのできょうだい1人あたり12分の1の相続割合となり、兄は先に亡くなっているので兄の相続分は兄の子3人が均等の割合で代襲相続(※)します(本件の場合、兄の子1人当たりの相続割合は36分の1です)。妻のBさんとすれば、これらの相続人との間で遺産分割協議書を作成するなりして名義を変えるなどの相続手続きをする必要があります。
なお、預貯金は金銭債権であり、金銭債権は給付が分割可能な債権で「可分債権」と呼ばれます。これに対して例えば登記名義の移転を求める債権などは分割ができない債権で「不可分債権」と呼ばれます。
判例は、可分債権は法定相続分にしたがい各共同相続人に分割帰属するとしています(最高裁昭和29年4月8日第一小法廷判決民集8・4・819)。したがって、預金債権は遺産分割協議の対象とする必要はないはずです。
ということは、妻のBさんが単独で夫のAさんの遺産を相続できないにしても、4分の3の割合で相続できるのであり、遺産分割の対象とならない預金債権についても自己の相続分である4分の3の限度で銀行に払い戻し等の請求を単独でなしうるはずです。
しかしながら、妻のBさんが体験したように銀行はこれには応じてくれないのです。その理由は、共同相続人間の紛争に巻き込まれるのを防ぐという銀行の金融実務上の論理が働いているからだと思います。また、現実には預金債権は、柔軟な遺産分割を行う上で極めて有意義であるため合意により遺産分割の対象とされているようであって、個々の分割帰属を認めないとの考えが底に流れているように思われます。
なお、最高裁も郵便貯金のうち定額郵便貯金の共同相続については、相続により当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産に属し、最終的な帰属は遺産分割の手続きにおいて決せられるべきであるとしています(最高裁平成22年10月8日第二小法廷判決民集64・7・1719)。
その理由は、事務の定型化、簡素化を図る定額郵便貯金の性質と、そもそも郵便貯金法は、定額郵便貯金につき一定の据え置き期間を定め、分割払戻しをしないとの条件で預入するものと定められていることにあるようです。
不備や瑕疵の不安が少ない公正証書遺言の作成を
≪トラブルを避けるためのワクチン接種≫
妻のBさんがトラブルに巻き込まれた原因は、夫婦ともども相続に関する正確な知識や情報がなく、相続順位や相続分のことを勝手に解釈判断して遺言書を残していなかったことにあります。このことからも夫Aさん妻Bさん夫婦と同じ立場・境遇にある子がいない夫婦は相続に関する正確な知識を得て遺言書を書いておくことが必要で、これが最良のワクチンといえます。
なお、ワクチンの効き目を確実にするためにはワクチンの製造過程に不備があってはなりません。したがって、遺言書を作成するなら自筆証書遺言よりも作成の不備、瑕疵が少なく、効力が争われにくく、スムーズな遺言執行もなしうる公正証書遺言の作成をお勧めします。
遺言書を書いておこうと考えている人は、まずお近くの公証役場に出かけて行って、直接公証人と相談されるといいでしょう。相談はどこの公証役場でも無料で、公正証書遺言の作成費用は、公証人手数料令という法令で決められているので安心です。
※代襲相続
相続人となる者が相続開始の前に死亡しているときや、相続欠格や廃除によって相続権を失った場合に、その相続人の子が、その相続人に代わって、その者の受けるべき相続分を相続することです(民法887条2項、889条2項)。