離婚、事業売却、不動産バブルの影響……ゼロからの再出発
投資も貯蓄もないところから(ポール・M氏 アメリカ、ケルン)
2008年のことです。私はとてもやり手のファイナンシャル・プランナーのもとで働いていました。その2年前には、離婚費用を捻出するために事業を売却し、娘といっしょに暮らすためにタウンハウスを購入していました。
ここで、三つのことを挙げておきたいと思います。ひとつ目は、2006年の不動産バブルのさなかにタウンハウスを購入したけれど、これがあまりよい結果を生まなかったこと。
ふたつ目は、それなりの金額で事業を売却したと思っても、債務や税金を支払い、離婚調停の末にすべてを半分にしたら、あまり残らないということ。三つ目は、市場の暴落時にパニックに陥った顧客からの電話をファイナンシャル・プランナーに取り次ぐのは、みじめな仕事だということです。
44歳、投資も貯蓄も無し……25年間会社勤め後の出会い
当時、私は44歳で、借金はなかったものの(やがて含み損を出す住宅ローンを除いて)、投資も貯蓄もしていませんでした。25年間会社勤めをしてきたあとに、再出発しようとしていました。
そんなとき、アマンダと出会って交際を始めました。最初は彼女のマネースキルがこんなに高いとは知りませんでした。彼女は常に「価値」を重視してお金を使っていましたが、将来への投資に何よりも価値を置いていました。そんな彼女を魅力的だと思いました。
私は、借金をしない、起業家精神がある、最新の流行を追わなくても気にしないなど、経済的自立の特徴は直観的に備えていますが、まだ学ぶべきことはいろいろありました。アマンダは根っから経済的自立にふさわしい気質の持ち主です。
私が今までに下した最高の決断はふたつあって、ひとつは彼女との結婚、もうひとつは彼女とその経済的自立を目指す生き方に従ったことです。
経済的自立の本格始動。「貯蓄率70%以上」に
2015年ごろに、私は新しい仕事を始めたのですが、投資は引き続き元上司のファイナンシャル・プランナーのところでやっていました。
アマンダと私が、経済的自立を追求するほかの人たちや、低リスクかつ低コストで自由を手に入れる「シンプルな道」のことを知り始めたのは、そのころでした。多くのブログやポッドキャストやオフ会を経て、私たちは「道」を本格的に追求し始めました。
退職口座のお金は全部、元上司のところからバンガード(1975年にアメリカのペンシルバニア州で創業された世界最大級の運用会社の一つ)に移しました。貯蓄率は70%以上になりました。市場が下落するたびに投資を増やします。10代後半の娘にあれこれ説明しようと、100通以上の手紙を書いたこともあります。
2022年の初めに、職責の範囲を縮小したい、給与が減っても構わないと上司に伝えました。妻も数年前に似たようなことをしていました。再出発が必要になってから15年も経っていません。
お金か時間かの決断を迫られたとき、私は今、時間を選ぶ自由を手にしています。
ジェイエル・コリンズ
投資家
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