(※写真はイメージです/PIXTA)

近年世の中でよく耳にする「老害」という言葉に、再雇用で会社に残る選択ですら「これって老害かも…」と恐れを抱いてしまう高齢者が少なくありません。本記事では和田氏の著書『老化恐怖症』(小学館)から一部抜粋し、「老害」という言葉の元来に立ち返りつつ、どう捉えるべきかを解説します。

「若い社員から『老害』と言われたくない」再雇用で残るか否か

2022年に上梓した『老害の壁』で、私は「老害」という言葉が安易に使われることで、世の高齢者が萎縮してしまうことに警鐘を鳴らしました。「若い人から老害と呼ばれないように」と、高齢者がなるべくでしゃばらず、慎ましい生活を強いられるような現在の日本社会の状況に異を唱えたのです。

 

何歳になっても権力を手放そうとしない元政治家や会社経営者が、いつまでも人の意見を聞かずに独裁的に振る舞って「老害」と呼ばれることがあるのは、歳をとったせいではなく、若い頃からもともと「そういう人」だったからです。

 

「老害」という言葉を意識しすぎない

本来は硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占める(居座り続ける)ことを指す言葉ですが、今や一般に使われる「老害」とは、迷惑な高齢者を侮蔑まじりに指す表現になっています。

 

身近なところで思いつく事例は、「レジでの支払いでもたついて、後ろで待つ人に迷惑がかかる」「高齢ドライバーは事故を起こす」「高齢者が出歩くとコロナ重症者が増えて医療が逼迫する」などでしょうか。

 

しかし、実は世の中で「老害」と呼ばれることのほとんどは、高齢者に対する「同調圧力」でしかありません。しかも、それに従わせることで、高齢者から生活や健康、楽しみなどの自由を奪うことにつながっています。これは断固として取り払わなければならない社会の側にある「壁」です。

 

そうであれば、再雇用で会社に残ることは「老害」と言えるのでしょうか。仕事の能力とは無関係に取締役として居座るなど、会社内の上下関係を利用して支配しようとすれば、それは「老害」と言えそうですが、定年後再雇用の人が若い社員たちと一緒に働くことが、「迷惑をかけるから老害」なわけではありません。

 

もらっている給料の割には業務をこなせないとか、若い社員より処理能力が劣るなどの批判はあり得ますが、それでも本当に足手まといなら、そもそも再雇用されないはず。それが資本主義の原則です。

 

再雇用の道を選ぶ人が、自ら「老害と言われるかも」と意識しすぎるのは、自分自身にとっても、会社や身の回りの社会にとってもよくないことだ思います。

 

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