困窮や孤独に追われて刑務所へ 「塀の外」にある“生きづらさ”
高齢化や長寿化の状況について触れておきたい。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、高齢者人口(65歳以上)のピークは2042年で、3935万2000人。高齢化率(全人口に占める65歳以上の割合)は、2022年時点の29%から、2060年代には38%まで上昇する見込みだ。
長寿化も進んでいて、2021年の平均寿命は男性が81.47歳、女性が87.57歳。男性の平均寿命は2050年には84歳を超え、女性の平均寿命は2045年には90歳を超えると推計されている。また、2020年に65歳の男性の37%、女性の62%が、90歳まで生きると見込まれている。
100歳以上の長寿者も増えている。2022年は9万526人で、初めて9万人を超えた。女性が89%を占める。国の推計では、ピーク時には100歳以上(男女計)が71万7000人(2074年)と、現在の徳島県の人口とほぼ同じ程度にまで増えるというから驚く。
「おばあさんの世紀」という言葉をご存じだろうか。2045年には、総人口に占める65歳以上の女性の割合が2割を超すと推計されている。つまり、65歳以上の「おばあさん」が、日本中にたくさんいる時代が来ることを指した言葉だ。
名付け親の1人、評論家でNPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子(ひぐちけいこ)さんは、「全人口の2割といえば、社会に影響を与え得る相当なボリュームといえる。その時代に、自立して生き生きしたおばあさん(HB=ハッピーばあさん)がたくさんいるか、貧しくて孤独なおばあさん(BB=貧乏ばあさん)がたくさんいるかで、日本社会の様相は随分違ってくる。BBからHBを増やす社会にすることが必要だ」と主張する。
確かに、低賃金・低年金になりがちな女性が「HB」となる仕組みを早くつくらないと、困窮や孤独から刑務所に居場所を求める「BB」が跡を絶たないことにもなりかねない。
各刑務所で「認知症の受刑者をどう処遇するか」が深刻化
高齢の女性受刑者が増えるということは、認知症の介護を必要とする受刑者が増えることも意味する。認知症は加齢とともに有病率が高まるからだ。認知症の受刑者をどう処遇するかは、各刑務所にとって深刻な問題になっている。
法務省では2018年度から、全国の主要8ヵ所の刑務所に入る60歳以上の受刑者に認知症の検査を義務づけた。対象となったのは、札幌、宮城、府中(東京)、名古屋、大阪、広島、高松、福岡の8刑務所。4月以降に入所した60歳以上の受刑者に対し、記憶力や計算能力などを見る認知機能検査を実施し、認知症の疑いがある場合は医師の診察につなげることにした。診断後、「認知症」と診断された受刑者については、刑務作業の軽減や、症状の改善指導などを検討する。
上記の8つの刑務所は、いずれも男性受刑者が入る刑務所だが、2019年度からは、栃木、和歌山の2つの女性刑務所が加わった。法務省によると、2019年度の調査では、対象者908人(60歳以上の受刑者のほか、認知症の疑いのある60歳未満の受刑者も含む)中、126人が「認知症の傾向あり」(約14%)だった。2020年度においては、対象者930人に検査を実施し、うち、医師による診察を受けた者が195人(約21%)、認知症の確定診断がされた者が54人(約6%)だった。
栃木刑務所では、2019年度以前から、認知症が疑われる受刑者については「長谷川式スケール(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)」を使った検査をしている。「長谷川式スケール」は、診断の「物差し」として、日本で広く使われている認知機能検査だ。9つの質問項目から成り、30点満点中、20点以下だと認知症が疑われる。
検査の担当者は、「認知症の受刑者の中には、罪を起こした自覚がなく、なぜ自分がここにいるのかがわからない人もいます。それでも刑務所としては受け入れざるを得ない。刑罰の内容もわからないのに、そのまま刑務所に入れておくのはどうかと個人的には思います」と話す。こうした疑問は、ほかの刑務所でも複数聞かれた。
福祉施設化する刑務所
確かに、「刑務所で服役させる意味はあるのだろうか」と思う受刑者はいる。
刑務所取材で出会ったある70代の女性受刑者は、自宅に火を放ち、家族数人を焼死させた。受刑者が60代のときのことだ。本人とコミュニケーションがとれないので、職員に聞くと、「家族の誰からも相手にされなかった。自分は財産を使い果たしたので、家族と無理心中をして死のうと思った」ことが動機とされる。
死刑になってもおかしくなかったが、女性には脳の萎縮(いしゅく)や人格の変化、うつ状態などが見られたため、心神耗弱が認められて懲役刑となった。その後、明らかに認知症が疑われる言動が見られたため、認知機能検査を実施したところ、高度なレベルで認知症が疑われる結果が出た。
今では自分の名前を書くこともできず、自分1人で入浴することもできない。そこで他の受刑者とは別に、1人用の浴槽で刑務官の助けを受けながら入浴する。入浴前には、外部から派遣された介護福祉士が歩行訓練も行う。夜間のおむつ交換をするのは刑務官だ。
懲役刑なので刑務作業をする必要があるが、部品を磨くといった単純な作業でも行うのが難しい。寮にある部屋から工場まで連れてこられるものの、大半の時間は頭を机に伏したまま。こうした状態では、自分の犯した罪を反省し、更生するための刑罰や指導も意味をなさない。反対に、刑務所は介護に多くの時間や人手を割かなければならなくなる。
「刑の執行」と「ケア」のジレンマ
「刑の執行が体をなさない人が増えています。その対応が現場では大きな課題となっています」。女性がいる刑務所で聞いた刑務官の言葉は、他の刑務所でも共通している。
「刑罰を与える場所で何もさせないでおくわけにはいかないけれど、中には便を手で触ってしまう受刑者もいる。そうした受刑者に、刑務作業で作る製品に手を触れさせるわけにはいかない。そのため、ひもを結んではほどくとか、新聞を細かくちぎるなど、何とかできそうな作業を見つけてやらせています」
刑務官の言葉からは、現場の苦悩ぶりがうかがえる。
会話やコミュニケーションが成り立たないと思われる認知症の受刑者も、起訴や裁判の段階では「責任能力あり」と判断されて刑務所に送られてきた。そのため、刑務所としては受け入れざるを得ない。「認知症の受刑者は刑務所にはそぐわない。検察が起訴を決める段階で何とかしてほしい」という切実な声も聞いた。
「刑罰や更生の意味がわからない人の生活支援をすることに疑問をもつ刑務官は少なくない。しかし、だからといって認知症の人などの刑の執行を停止し、福祉施設に行かせることを国民が良しとするのか。矛盾を感じつつも、現場としては、受刑能力ありと判断されて来た人たちを更生させ、社会に戻すことに専念せざるを得ないのが現状です」
刑務所幹部の言葉からは、「刑の執行」と「ケア」の両方を負わされた刑務所のジレンマがにじみ出る。社会の安全を守る「最後の砦(とりで)」である刑務所は、来る人を自ら選ぶことも、拒むこともできないのだ。
別の幹部は次のように話した。
「認知症の受刑者にご飯を食べさせ、おむつも替える。懲役刑を受けた犯罪者なのに、こんなに手をかけていいのかと、若い職員から聞かれたことがあります。確かに、福祉施設と同じことを刑務所でするなら、最初から福祉施設に入ってくれればと思う。しかし、罪を犯した者の引き受け手は少なく、現実にそうするのはなかなか難しい。きちんと処遇をしようと思えば思うほど、ケアもきちんとせざるを得なくなる現状があります」
「きちんと処遇をしようと思えば思うほど、ケアもきちんとせざるを得なくなる」点については、取材をしていて、いろいろ思うところがあった。刑罰とケアのジレンマに悩みつつ、懸命に処遇にあたる刑務官たちの仕事ぶりを「すごい。よくやっている」と思いつつも、「ここまでするの?」と感じる点もあったからだ。
たとえば、外部から専門家を呼び、認知症の進行抑制のために行う「脳トレ」や、足腰が弱るのを防ぐ「筋トレ」。刑務所に入らず、一般社会の中で頑張って暮らしている高齢者の中には、脳トレや筋トレをしたくても受ける機会がない人がたくさんいるに違いない。
法務省によると、刑務所など刑事施設の被収容者1人当たりの生活費(食費など)は1日あたり約2200円、年間で約80万円。職員の人件費や施設運営に要する費用まで含めた総経費は被収容者1人あたり年間約450万円に上る(2021年度予算)。
脳トレや筋トレなどの支援の必要性は認めつつ、塀の内と外との「公平感」も踏まえた検討が欠かせない。この問題は刑務所だけで答えを出せるものではない。納税者である国民を含め、社会全体で考えるには、塀の中で何が行われ、現場はどんなジレンマを抱えているのかを「見える化」し、共通課題としていくことが求められる。
猪熊 律子
読売新聞東京本社編集委員
1985年4月、読売新聞社入社。2014年9月、社会保障部長、17年9月、編集委員。専門は社会保障。98~99年、フルブライト奨学生兼読売新聞社海外留学生としてアメリカに留学。スタンフォード大学のジャーナリスト向けプログラム「John S. Knight Journalism Fellowships at Stanford」修了。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。共著に『ボクはやっと認知症のことがわかった』(KADOKAWA)などがある。
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