グローバル化とIT革命がもたらした、戦後雇用体制への深刻な影響
90年代に入り、グローバル競争の本格的到来と情報技術革新、社会の価値観の多様化等の環境変化は各国の戦後雇用体制に深甚な影響をもたらした。
英国、米国を代表とする自由主義的市場経済(Liberal Market Economy)の国々では、労働組合の規制を解除・忌避する傾向が顕著で、組合組織率の低下が著しく、結果として労働市場の機能が労働条件を決定する傾向が強まった。その際の労働条件決定の主要舞台は企業へと収斂している。
他方、ドイツやスウェーデン等大陸ヨーロッパ諸国の調整的市場経済(Coordinated Market Economy)の国々では、それまで、企業レベルの賃金交渉は上部の団体交渉によって制約されてきた事態に対し、企業を越えた労働条件決定を幾分かでも企業レベルで決定できるような「交渉制度をめぐる交渉」がなされた。いずれも雇用労働条件の決定機構を「分権化」(Decentralization)する方向が強まった(Whitley,1999;Hall & Hoskice,2001)。
この分権化とともに注目すべき変化は、労働者個々人の賃金決定を、人事考課を通じて「個別化」する動きも一定程度進行したことである。下記の図表1は「分権化」と「個別化」の変化を図示したものである。
日本は不思議な国である。賃金は企業で決定されるものであり、従業員の賃金は年齢や勤続年数の差だけではなく、働きぶりの評価=人事考課によっても影響を受けることが当たり前の国であり※1、分権化も個別化も、もうその先はないところまで日本の労働は達してしまっていたのである。そうだとすれば、90年代以降の日本の改革とは一体何であったのか。
※1 職務給の導入をめぐる議論でも、職務給において人事考課を加味することは当然視されており、この点は争点にすらならなかった。それが日本である。
バブル崩壊後に表面化した「深刻なコストの問題」とは?
分権化と個別化の極北の国・日本の労働は、諸外国では達成困難な企業内での自主的な労働条件決定(=分権化)、企業内での処遇の個別化を通じての個々人の努力水準の上乗せ競争の浸透(=個別化)を達成していたが、こうした労働への協力を引き出すためには、分権化と個別化の背後に長期的雇用慣行、年功賃金、企業間の長期的取引慣行等からなる企業を中心とする準共同体的関係の維持のコストがついてまわっていた。
経済成長が常態であった80年代までは深刻なコストとして認識されてこなかったが、バブル経済の崩壊後、成長が止まる90年代になるとこのコストは深刻な問題として表面化した。
心からの協力を損なわずに共同体の維持コストをどこまで低減できるのか、その新たな均衡の模索が日本の改革であった※2。この共同体関係の維持のコストとベネフィットの秤量は、コストが短期的に計測しやすく、ベネフィットが長期的でかつ計測できないという特性から計算として成り立たず、コスト圧縮の努力の方面に秤は傾くことになった。このコストの最たるものは賃金であった。
※2 Inagami & Whittaker(2005)が参照されるべきである。
この賃金コストの問題を企業はどのように解こうとしたのか。課題は、端的にいって、「能力主義管理」の達成が、比重を低めたとはいえなお内包していた年功的な賃金という制度要因を、いかに協力的な労使関係を損なわずに抑制できるかであった。
このための方策は、(ア)付帯的部門を別会社にして、既存社員の出向・転籍、別会社の新規労働力には別会社の企業サイズに相応しい賃金水準の提示、もしくは非正規社員の採用、(イ)維持された本社においては、すでに市場賃率が成立している非正規社員の可能な限りの活用、(ウ)本社正社員の賃金改革、の三つであった。
賃金コストの抑制・低減には(ウ)ではなく(ア)と(イ)が大きな比重を占めた。(ウ)の正社員の賃金改革が成果主義的賃金改革であるが、この改革は、(ア)の本社の縮小と子会社の族生、(イ)の非正規社員の増大という社会的な所得配分の問題を排出しつつなされたことに留意しておかなくてはならない。また、これらの改革を通じて労使関係の協力関係が崩れた気配がないことにも留意が必要である。
この小節は石田光男・樋口純平、2009年『人事制度の日米比較―成果主義とアメリカの現実』(ミネルヴァ書房)をベースにしている。
石田 光男
同志社大学名誉教授
国際産業関係研究所所長
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