「教授の椅子は渡さない」
医療事故。それは、古くて新しい問題です。病院に行った人全員の病気やけがが治るわけではありません。医学にも限界がある以上、医者・病院は、患者の病気やけがの治癒という結果を請け負っているわけではありません。
しかし、治療行為後に重い後遺症が残ってしまったり、患者が死亡してしまったりすると、医者・病院への不信感から、「医療ミスがあったのではないか?」と疑ってしまう場合もあるでしょう。
医療問題を扱った小説として有名なのが、『白い巨塔※1』です。浪速大学に勤務し、次期教授ポストを狙う野心の医師・財前五郎を中心に、医学界の黒い部分を鋭くえぐる小説。今までに何度も映像化されています。物語の中で、教授選が1つの軸となりますが、もう1つそれに絡んで展開されるのが、医療過誤訴訟です。
中小企業の社長・佐々木庸平が病院で死亡します。その背後に、財前の医療ミス(胸部レントゲン写真の陰影の誤判や、術後の呼吸困難の誤診など)があります。遺族は、民事訴訟を決意します。第1審では、原告敗訴。遺族の捨て身の控訴による控訴審では、新証言なども飛び出し、原告勝訴となります。そして最高裁への上告――。
※1 教授選、医療過誤訴訟などを通じて、医学界の闇を描く長編小説。1966年の映画化以降、何度も映像化されている(山崎豊子『白い巨塔』新潮文庫)。
医療訴訟における患者側の勝訴は難しい?
ただし、一般的に、医療過誤訴訟は、原告(患者)にとって「難しい」といわれています。裁判所の公表している統計を見ても、地方裁判所で行われる第1審の通常訴訟事件と医事関係訴訟事件を比べた場合、原告の主張を認める率(認容率)に関して、後者が極めて低い状態が継続していることが分かります。
これは、なぜなのでしょうか? 医療訴訟においては、原告(患者)側が、医者・病院の「過失」や、医療過誤と損害との「因果関係」を証明しなければなりませんが、これは、決して容易ではありません。
その当時の医療水準に照らして、適切な治療行為がなされなかった(=過失がある)かどうか、また、適切な治療がなされていれば、患者は死亡しなかったはずだといえる(=因果関係がある)かどうか。それを患者側が証明できなければ、医者・病院に損害賠償などの責任を問うことはできません。
しかも、ここでいう「証明」の程度は、「高度の蓋然性」が必要とされています。簡潔にいえば、裁判官が「十中八九、間違いないだろう」という心証を抱くような証明が要求されているのです。
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