都内で生まれ育った35歳の米田さん。27歳のとき結婚が決まり晴れて「寿退社」となりましたが、その先に待っていたのは「孤立無援」の悲惨な現実でした……。『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』(講談社現代新書)の著者でジャーナリストの小林美希氏が取材してわかった、“働きたいけど働けない”女性の悲痛な叫びをみていきましょう。
専業主婦の35歳・女性、育児ノイローゼで「もうダメだ」…愛する娘にしでかした「蛮行」【ジャーナリストの実録】 (※写真はイメージです/PIXTA)

壁に向かって体育座り…育児ノイローゼで鬱病に

そんな生活だったので、鬱病になるまでに時間はかかりませんでした。気分の落ち込みが激しくなって、何もできなくなったんです。夕食の用意をしながら、頭のなかで、どうしよう、どうしようと、ぐるぐるする。子どもは可愛いけど、私、何してるんだろう? やっぱり、そう思わずにいられなかったんです。

 

それで、「あ、私はやっぱり仕事がしたいんだ」と確信したんです。でも、2人目の子どもも欲しくて葛藤しました。それからは、鬱が酷(ひど)くなっていきました。

 

ああ、ご飯の時間だ。野菜を切らなきゃなー。あー、(子どもが)水をこぼしたなー。雑巾があそこに置いてあったよなーと、思うのですが、体が動かないんです。ああ、自分の処理能力が低下している……と思うときは、まるでパソコンの調子が悪くなってしまったように、自分の動きが鈍くなりました。買い物に行かなきゃと思うんですが、動けないんです。

 

後ろのほうで娘が「グミ、食べたーい」と言っていて、私は遠くから「ダメだよー」というのがやっと。やっとのことで重い腰をあげてスーパーに行っても、何を買っていいか分からないんです。とりあえず毎回、にんじんとたまねぎとしめじ、パン、卵、牛乳を買って帰りました。

 

娘が「公園に行きたい」とすねるんですが、公園に行く余裕なんてなかった。家に帰ると、鬱々とした気分が増して「疲れたなぁ」とため息が出て。部屋の壁に向かって体育座りするんです。これが自分のヤバいサインでした。

 

もうろうとして、娘に手をあげ…“下手したら死んでしまったかもしれない。もうダメだ”

虐待防止センターに相談して、鬱の克服を目的に仕事を始めると、やりがいを取り戻すことができました。でも、次の契約更新をする頃に第2子の妊娠が分かって、仕事を辞めました。息子が生まれた直後に夫の転勤が決まると再び鬱症状におそわれて、日々のちょっとしたことが決断できなくなりました。

 

娘の幼稚園がある日はまだ良かったのですが、夏休みになって子どもと3人の生活が始まると、がくんと気持ちが落ち込みました。息子は夜泣きが激しくて。私の睡眠不足の日が続く一方で、子どもは朝から元気なんです。

 

もうろうとして苛立って、初めて娘に手をあげてしまいました。娘の胸を足で蹴り飛ばしていて、気づくと娘がワーッと泣いていました。

 

その時ばかりは、下手をしたら娘は死んだかもしれない。もうダメだ。そう思って、すぐさま実家に電話して逃げるように帰りました。その夏は、ひたすら泣いて過ごす日々を送りました。

 

夜に体がこわばって眠れなくなって、睡眠薬を常用するようになりました。鬱症状に苦しみながら、赤ちゃんの息子を抱えて、娘の幼稚園のお迎えに行くことに限界を感じて、やっと「誰かに頼ろう」と決めて、自治体が紹介する有償ボランティアの「ファミリー・サポート・センター」を利用することにしたんです。

 

しばらくしてまた夫の転勤が決まって、実家の近くに家を買って、生活を立て直していきました。そして、やっと仕事に復帰しました。

 

 

小林 美希

ジャーナリスト