日本学生支援機構によると、大学生(昼間部)のおよそ2人に1人は奨学金を利用しているそうです(令和2年度調査)。奨学金は、金銭的な理由などに学ぶ機会を奪わせないための重要な制度ですが、人によっては“卒業後の人生”で大きな負担となる場合もあります。『年収443万円』(講談社現代新書)著者でジャーナリストの小林美希氏が、「奨学金の返済」に人生を振り回された男性から話を聞きます。
基本給12万円、30代会社員を苦しめた「奨学金の返済」…卒業後の人生を左右する“月1万7,000円”の重み【ジャーナリストの実録】 (※写真はイメージです/PIXTA)

「いつ職を失うか分からない」という危機感

不妊治療に対する経済的不安……「リーマン氷河期世代」の憂鬱

──北陸地方・吉川耕太(33歳)・電車運転士・年収450万円(世帯年収900万円)

 

結婚したら、考えは明らかに変わりました。妻という新しい家族が増えて、家族のために仕事する。あと少しで30代後半になるのですが、そのときどうなっているのかと思います。

 

今の会社があるのかどうか。電車に乗る人が減って、空気だけ運んでいる日もあるくらいです。

 

もう電車よりバスのほうが使い勝手が良いのかもしれない。鉄道会社では、いつ職を失うか分からないという覚悟でいます。電車を運転していると、コロナで人の行動が変わったのを肌で実感します。

 

ブラック企業に就職、心身がボロボロに

もともと大学進学で東京に出て、学費は奨学金で賄っていました。親からの仕送りは家賃の5万円だけ。あとは居酒屋でバイトして生活費を稼いでいました。Uターン就職しようと北陸地方で就職活動して、入社したんです。

 

2008年のリーマンショックから4年後の就職でしたが、まだリーマンショック前の大卒就職率の水準には戻っていなくて、大卒就職率が63・9%でした。厳しかったです。

 

入社した物流会社はブラック企業で、倉庫で朝6時から夜11時まで働いて、残業を100時間以上しても20~30時間分しか残業代はつきませんでした。

 

そのうち過労で膝が悪くなって歩くこともできなくなり、入社2ヵ月でわけのわからないまま辞めさせられました。

 

それからニート状態になったのですが、なんとか夢だった電車の運転士になろうとやり直して、東京でも運転士として働いていたことがあります。

 

けれど東京で運転士をしていた頃は上司からのパワハラが絶えず、ミスをすれば詰問される。「鉄道会社あるある」ですね。

 

もちろん安全のためだとは思いますが、教育的な指導というより、精神的に追い込んでいく、まさにパワハラなんです。社員は心を病んでどんどん辞めていきました。

 

給料も良くて、休みもきちんととれていたのは良かったのですが、もう、精神的に限界でした。身も心もボロボロって、そのときは自分のことをいうんだと思いましたよね。体重はどんどん減って50キロくらいしかなくなって。美容院に行く気力もなくなって。

 

でも、奨学金で大学に通ったから返済があるし。どうしても働かないと。

 

ちょうど、故郷の両親のことも考えて、このまま東京にいてもなぁ、と思い始めて、辞めて故郷に帰ったんです。この頃もボーナスには手をつけず貯金していましたが、引っ越し費用に消えました。