「いつ職を失うか分からない」という危機感
不妊治療に対する経済的不安……「リーマン氷河期世代」の憂鬱
──北陸地方・吉川耕太(33歳)・電車運転士・年収450万円(世帯年収900万円)
結婚したら、考えは明らかに変わりました。妻という新しい家族が増えて、家族のために仕事する。あと少しで30代後半になるのですが、そのときどうなっているのかと思います。
今の会社があるのかどうか。電車に乗る人が減って、空気だけ運んでいる日もあるくらいです。
もう電車よりバスのほうが使い勝手が良いのかもしれない。鉄道会社では、いつ職を失うか分からないという覚悟でいます。電車を運転していると、コロナで人の行動が変わったのを肌で実感します。
ブラック企業に就職、心身がボロボロに
もともと大学進学で東京に出て、学費は奨学金で賄っていました。親からの仕送りは家賃の5万円だけ。あとは居酒屋でバイトして生活費を稼いでいました。Uターン就職しようと北陸地方で就職活動して、入社したんです。
2008年のリーマンショックから4年後の就職でしたが、まだリーマンショック前の大卒就職率の水準には戻っていなくて、大卒就職率が63・9%でした。厳しかったです。
入社した物流会社はブラック企業で、倉庫で朝6時から夜11時まで働いて、残業を100時間以上しても20~30時間分しか残業代はつきませんでした。
そのうち過労で膝が悪くなって歩くこともできなくなり、入社2ヵ月でわけのわからないまま辞めさせられました。
それからニート状態になったのですが、なんとか夢だった電車の運転士になろうとやり直して、東京でも運転士として働いていたことがあります。
けれど東京で運転士をしていた頃は上司からのパワハラが絶えず、ミスをすれば詰問される。「鉄道会社あるある」ですね。
もちろん安全のためだとは思いますが、教育的な指導というより、精神的に追い込んでいく、まさにパワハラなんです。社員は心を病んでどんどん辞めていきました。
給料も良くて、休みもきちんととれていたのは良かったのですが、もう、精神的に限界でした。身も心もボロボロって、そのときは自分のことをいうんだと思いましたよね。体重はどんどん減って50キロくらいしかなくなって。美容院に行く気力もなくなって。
でも、奨学金で大学に通ったから返済があるし。どうしても働かないと。
ちょうど、故郷の両親のことも考えて、このまま東京にいてもなぁ、と思い始めて、辞めて故郷に帰ったんです。この頃もボーナスには手をつけず貯金していましたが、引っ越し費用に消えました。