この後遺症は、今も存在し続け、アカデミズムの世界では、堂々とドラッカーを否定する研究者は少なくありません。
ドラッカーは、企業研究を続けていくうちに、いつしか政治学者から経営学者へと軸足をシフトして言論活動を続けました。そこで持ち続けた問題意識は「自由で機能する社会の実現」であり、そのために企業と企業経営者が何をすべきかでした。
つまり、企業を社会に見立て、その中で自由で機能する組織をどうつくるかという問題意識を持ちながら思索と研究を続けました。その過程の中で、自然と自己目標管理のアイデアが熟成していったのだと感じます。
とりわけ、組織の中で個人の自由をどう実現するかというテーマは経営者の権限の正当性の根拠を何に求めるかというテーマと併せて、ドラッカーの脳裏から離れることはなかったと思います。
そして、その長期間の思索の成果として、『現代の経営』と『マネジメント』において、経営者の権限の正統性の根拠を社員の自己実現に対する経営者の責任に求め、組織における個人の自由の実現を自己目標管理に求めたのでした。
ドラッカーは「自由」をどう捉えていたのか
ドラッカーにとって自由とは、決して野放図な責任意識のない自由ではありません。ドラッカーは自由という概念を責任という概念と表裏一体だと捉えています。責任意識に基づいてこその自由であると考えたのです。
もちろん、その背後には、ナチスによる全体主義にドイツ国民がやすやすと傾斜したことへの消えることのない危機意識があります。
責任意識を消失してしまうことにより、自由が無責任の代名詞に堕してしまう恐怖をドラッカーは生涯忘れることはありませんでした。
ドラッカーは、自己目標管理で使われるセルフコントロールという言葉についても慎重な説明をしています。
コントロールという言葉は、基本的には機械や設備などのモノに対して使うべき言葉であり、人に対しては自分自身以外においては使うべきではない。ましてや、人が人をコントロールするなどあってはならないと述べています。
そのようなドラッカーの言説に目を向けると、自己目標管理によって初めて支配のマネジメントから自己管理によるマネジメントが実現できると述べたドラッカーの並々ならぬ思いを感じとることができます。
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