今や「伝統構法の家」はほとんど建てられていない
日本の伝統構法である「木組み」「土壁」そして「石場建て」による建物は、現在ではほとんど建てられていません。
そのおもな理由は、これらを施工できる職人がいなくなったことです。「木組み」にしても、「土壁」にしても、「石場建て」にしても、熟練した大工や左官職人の技術が必要であり、昨今の少子高齢化などによってこれらの職人が減り続けているのです。
現在の木造家屋の多くは、材木会社で設計図に合わせてプレカットと呼ばれる加工があらかじめ施され、現場では模型のようにそれらを組み合わせて金具で固定するだけの施工方法となっています。壁も工場でパネル化されて現場で打ち付けるだけです。そのため、熟練した職人でなくても建てることができてしまいます。昔のように現場で大工さんが鋸を引いたり、カンナで削ったり、ノミでほぞを作ったりする必要がないのです。
このように、日本の風土、環境に合った伝統構法は近代的な構法にとって代わってしまいました。伝統的な免震工法としての「石場建て」も例外ではありません。
大地震にも強い「免震工法」が普及せずにいる“裏事情”
昔の建築物は、免震工法(石場建て)が当たり前でした。ところが現在私たちの周りを見回してみると、免震工法は非常に少数派です。地震大国日本にとって免震は必要不可欠なはずです。それなのに普及していません。
その理由は、免震の生みの親といわれる工学博士、多田英之氏の著書『免震―地震への絶縁状―』に詳しく書かれています。
大正期、海軍技師の真島健三郎氏を中心とする「柔」の建物を推進しようとする一派と、東京大学教授の佐野利器氏を中心とする「剛」の建物を推進しようとする一派が対立し、10年の長きにわたって議論が続きました。いわゆる柔剛論争です。
この論争は最終的に、地震波の性質解明や振動解析手法が不十分だったため、「剛」の一派の勝利となります。そして「剛の思想」=「耐震工法」が法律にも取り入れられ、「柔の思想」=「免震工法」は表舞台から消え去ることになりました。この状態が現在まで続いています。
一つの状態が長く続くと、そこに既得権益が発生するものです。そこで利益を得る者が生まれ、その権利を維持しようとするのです。これらの人たちは、耐震工法に関わることで生活をしてきました。ですから、自分の利益のために権利を守ろうと必死に動きます。このような状態ですから、免震工法はなかなか世の中に出る機会がなかったのです。
多田氏は「免震について当時(大正期)語られたことは、今考えてみても全部正しかったと私は思っている。概念そのものは決して間違っていなかった」と語られています。
私も同意見で、当時に比べ現代はコンピューターも発達し、解析理論・方法も飛躍的に進歩しており、地震のデータ(地震波)も数多く取得できています。今こそ、多田氏が推奨されていた「柔」構造を、この地震大国日本における建物構造の基本にするべきだと思うのです。