「自己肯定感」を高めれば自傷的自己愛を抜け出せる?
表立って流行語として言われることは少ないのですが、言わば陰の流行語として「自己肯定感」は、いまや盤石の地位を獲得したかに見えます。自己肯定感という言葉を冠した書籍は、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)と言ってよいほどあふれています。もちろん、そのほとんどが、どうすれば自己肯定感を高められるかというテーマを扱っています。そこにはいわゆるポジティブ心理学の応用編もあれば認知行動療法の考え方を応用したものもあり、中にはもちろんオカルト的なニセ科学的な装いのものも見受けられます。いや本書にしても、最終的には自傷的自己愛からの回復について触れようとしているのですから、そうした「自己肯定」本の一つと言われればその通りかもしれません。
カウンセラーの信田さよ子氏が「自己肯定感」という言葉を批判して話題になったことがあります。その背景として、「自己肯定感」といういかにも自己啓発的な言葉が、自分を好きになれない個人をさらに苦しめたり、子育てを難しくしたりしている側面があると説明されていました。ほぼ同感なのですが、私の実感としては「自己肯定感」という言葉が流行する以前から、「自傷的自己愛」に悩む若者は大勢いました。彼らが救いを求めて自己肯定にしがみつくことはしかたがない、とも考えています。
本書では、とりあえず簡単に自己肯定感を高める方法について詳しく述べたり推奨したりすることはしません。これは自己肯定感という言葉と自己愛という言葉の違いを意識しているためもあります。この点についてはこれから述べますが、私は自己愛の健全な成熟について考える上で、性急な自己肯定感の追求はむしろその妨げになると考えています。
成功するには「高い自己肯定感」が必要、という“風潮”
自己肯定感という言葉の使い方は、果たして現状のままでいいのでしょうか。自己肯定感というキーワードが定着し、その獲得方法がこれほど求められているという状況は、裏を返せば自己を否定している人、自分が好きになれない人が非常に多いという状況の反映とも考えられます。
「自己肯定感」という言葉の歴史は意外に新しく、1994年に心理学者の高垣忠一郎(たかがきちゅういちろう)氏によって提唱されています。ちなみに高垣氏によれば、「自己肯定感」とは、「自分が自分であって大丈夫」という、存在レベルの肯定を意味するとのことです(〈私の心理臨床実践と「自己肯定感」〉高垣 忠一郎 退職記念最終講義より http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2009/45-1_03-02.pdf)。その意味では普通に「自己愛」とも呼べそうな気もしますが、ともあれ、もともとはそういう深みのある言葉だったわけです。
これに関連してよく紹介される調査に、日本の子どもの自己評価が国際比較でも有意に低い、というものがあります。
たとえば、内閣府によって実施された日本を含めた7ヵ国(日本・韓国・アメリカ・英国・ドイツ・フランス・スウェーデン)の満13〜29歳の若者を対象とした意識調査(2014年)では、日本人青年の自己肯定感の低さが指摘されています(「平成26年版子ども・若者白書」内閣府)。国立青少年教育振興機構青少年教育研究センターによる日本・アメリカ・中国・韓国の高校生を対象とした調査(2015年)でも、「自分はダメな人間だと思うことがある」と回答した者の割合は、日本の高校生が72.5パーセントと最も高かったと報告されています。
しかし、この違いについては、協調性や謙遜(けんそん)を大切にする文化の影響もあると考えられていて、必ずしも自己肯定感が低いから日本人はダメだ、という単純な話ではありません。
そもそも自己啓発書や自己肯定感を高めるハウツー本などには、自信があることが成功の条件のように断定的に書かれがちですが、本当にそうなのでしょうか。
自己肯定感がなくても、頑張る人たち
100円ショップで有名な「ダイソー」を運営する大創産業は、日本国内に約3300店舗、世界26の国家・地域に、約2000店舗を展開している大企業です。売上高4757億円(2019年3月末)は、ヤクルト、スクウェア・エニックス、ヤマハなどの企業を上回っています。ここの元社長である矢野博丈(やのひろたけ)氏は、ネガティブな発言が多いことで有名です。
「そもそもダイソーなんて底の浅い商売ですから」「わしは劣化した。もうしょうがない」「お客様はよう分からん」「私はどうしようもないただのオッサンです」「お客様にはすぐ飽きられるものです。ずーっとずーっと恐くて、眠れなかったんですよ」「やってきたことがいいか悪いかは、ダイソーが潰(つぶ)れる時にならんとわかりません」「経営計画、戦略、そんなもんないです。目標ないです」「人間は、先を見通す能力なんてないんです」「生きるということは、基本的に楽しいことではありません」などなど。なお出典は閉鎖した某まとめサイトのようなので、信憑(しんぴょう)性に若干問題はありますが、あちこちで何度も引用されているため、事実という前提で話を進めます。
矢野元社長は「潰れないように頑張る」がモットーらしいのですが、たしかにこういう頑張り方もあると思います。というか、そういう境地でひとつひとつの現場をしのいでいって、ふと気がついたら成功していた、ということだって十分にあり得るでしょう。よく知られているように、成功者の自伝や自己啓発本は「生存者バイアス」の見本市みたいなものです。ほぼ同じ考え方や手法のもとで無惨に失敗した人々の死屍累々(ししるいるい)の上に、一握りの成功者が「自信を持て!」「やればできる!」「とにかく動け!」とコブシを振り上げているようにしか見えません。私は「たまたま上手(うま)くいった結果」から導かれた成功哲学などはあまり信用できません。
実はかなり多くの経営者の本音は、矢野氏のように自信がなく、目標もなく、不安を抱えてその場その場をしのいできた、というあたりではないでしょうか。ただ、経営トップがそんな不景気な発言をしていたらいろいろ悪い影響がある、というだけの理由で、そういう本音が語られる機会が少ないのではないでしょうか。
自己肯定感が高いほど次々作れる、というわけではない
ことは経営に限りません。物を書く、何かを作るという作業についてはどうでしょうか。
私もこれまで、原稿の締め切りを守ったことがほとんどないという怠惰な人間ですが、それでも本業の傍ら50冊以上の著書を出版してきました。
その原動力は何だったのか。ひとえに「この原稿を落としたら、もう執筆の依頼はなくなってしまう」という不安と恐怖です。私は自己愛の強い人間ですが、少なくとも自信や自己肯定感がものを書く原動力だったことはほとんどありません。むしろ逆です。書き始める前は、何を書いて良いのかすら見当も付かず、辛(つら)くしんどい思いをして、やっと依頼原稿を書きあげる。そうやって完成した原稿についての自信だけが、ほんの束の間、私の自己愛を強化してくれます。でも、そうした自己満足が続くのはもって数日、後は再び「自分にはもう書くべきことなど何もない」という思いに苛(さいな)まれるのです。こんな経験は私だけではないでしょう。
単純に、自己肯定感が高い人ほど、どんどんものが作れるということはありません。過去の偉大な創作者の例を考えてみても、みんながみんな自信満々で作品を作っていたなんてことはありません。中には村上春樹(むらかみはるき)氏のように、自分の無意識にダイブするようにこつこつと長編を書き上げたら、その原稿をゆっくりと何度も楽しみながら加筆修正する、なんていう人もいます。でも村上氏にしても、その過程において「俺ってすごい」とか思いながら書いているかと言えば、そんなことはないでしょう。作品が完成したら、ちょっとはそう思うかもしれませんが、それを傲慢(ごうまん)と思う人はほとんどいないはずです。
もっと極端な例で言えば作家のフランソワーズ・サガン氏がいます。彼女は次のように書いている。「自信をなくすことのない人間っているかしら。わたしは自信を持つときがありません。だから物を書いているのです。自信のないことがわたしの健康であるわけです」(『サガンの言葉』山口路子、だいわ文庫、2021年)。
1960年代には一世を風靡(ふうび)したスター作家にしてこの言葉。これは間違いなく謙遜ではないはずです。そして日本には、太宰治がいます。彼はこう書いている。
「けれども私たちは、自信を持つことが出来ません。どうしたのでしょう。私たちは、決して怠けてなど居りません。無頼の生活もして居りません。ひそかに読書もしている筈(はず)であります。けれども、努力と共に、いよいよ自信がなくなります」
「私たちは、この『自信の無さ』を大事にしたいと思います。卑屈の克服からでは無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前例の無い見事な花の咲くことを、私は祈念しています」(「自信の無さ」『太宰治全集10』ちくま文庫、1989年)。
太宰は自傷的自己愛の元祖、みたいな人ですから、これはよくわかりますね。彼は「如是我聞」という文章で、体育会系で自信満々に見える作家の志賀直哉(しがなおや)を批判していましたが、あれなどまさに「リア充爆発しろ」みたいな批判です。しかし私は、その志賀直哉にしても、常に自信に満ちて筆を執っていたとは思えません。ただ、志賀自身の美意識から、執筆の苦労話のような文章は書かなかっただけのように思います。
不安を感じない作家は極めて稀
もし、書くことについて何の不安も感じない作家がいたとしたら、それは書く前から書くべきことがわかっているからでしょう。しかし、そのような作品が面白いとは到底思えません。私も30年近く文章を書いてきて、とりあえず書き始めればなんとかなることはわかっています。それで50冊書いてきても、まだ不安なのです。常に「今度こそ、自分は何も書けないかもしれない」という恐怖と戦っている。確かに私は多くの本を書いてきて、その一部はいまも読まれています。その内容を高く評価してくれる人もいます。しかし残念ながら、そうした「業績」そのものは、私の自己肯定感にあまり寄与していません。
先にも述べた通り、私の自信がわずかなりとも回復されるのは、会心の文章が書けた瞬間と、その後の数日間ほどです。つまり私は「書いている自分」が好きなので、もし書けなくなったら、自信は急速にしぼんでしまうでしょう。よく作家の方が口にする「最新作が最高傑作」というのは、たぶんそういう意味だと思います。言い換えるなら、この言葉こそが、作家の不安と自信のありかを象徴しているのです。こうした不安とまったく無縁な物書きの文章を、私はあまり読みたいとは思いません。
例外は石原慎太郎(いしはらしんたろう)氏くらいです。石原氏は作家としては非常に幸福な方で、彼の創作過程を直接聞いた限りでは、ほとんど懊悩(おうのう)や逡巡(しゅんじゅん)のあとがみえません。書きたい欲求が高まってきたら、一気呵成(かせい)に書いてしまう。ほとんど生理現象です。それで結構な傑作が書けてしまうのですから、色々な意味で例外的な存在だったと思います。それでは石原氏こそは、自信満々の自己愛的人間だったかといえば、まったくそんなことはないのが面白いところです。
これについて詳しく話すと長くなってしまうのですが、政治家の中でも石原氏ほど自分の話をしたがらない人は珍しい。秘密主義、という意味ではなくて、自分がほめられたり持ち上げられたりすることが苦手のようなのです。対談などでそういう話になりかけると、ぱっと体をかわすように話題を変えようとする。世間ではあたかも傲岸不遜(ごうがんふそん)の典型みたいに思われているわけですが、私に言わせれば石原氏は気遣いと含羞(がんしゅう)の人、という印象でした。これもまた一面に過ぎない、と言われればそうなのでしょうが。
自己肯定感は長続きせず、自己批判を消すわけでもない
閑話休題、「自信がないから物を書く」、これは普遍的な真理ではないかと思います。物書きの端くれとして断言しますが、自信と自己肯定感は「物を書く」原動力にはなり得ません。「書かない自分を肯定できないから書く」という意味では、動機の一部くらいにはなるでしょう。しかし、自分自身に対するポジティブな感情だけでは、「何かを作る」ドライブにはなりにくい。多くの作家やアーティストにインタビューしてきた経験からしても、これはかなり普遍的な真実ではないかと思います。
人はときに、絶望感や喪失感、うつ状態であるがゆえにものを作り、描き、書くことがあります。私の若い友人である坂口恭平(さかぐちきょうへい)氏は、うつ状態の時に大量の文章を書くのだそうです。彼は双極性障害に罹患(りかん)していて、書くことには自己治療の意味もあるとのことです。ここで興味深いのは、躁(そう)状態の時でも文章は書けるけれど、うつ状態の時に比べても底が浅い、つまらないということです。確かに軽躁状態の人は時に創造性が高まることがありますが、量はともかく質が高いとは限りません。文章で言えば紋切り型で俗っぽい方向に流れる傾向があるように思います。一般にうつ状態は無気力化するので創造とは無縁と思われがちですが、そこからも創造性を引き出しうるというのは非常に興味深い事実でした。
以上の経験からも言えることですが、強い肯定感のみがずっと持続することはきわめて難しいのです。私個人のことで言えば、ありがちなことではありますが、週の前半は否定的な気分が続き、週の後半は肯定的な気分になるというサイクルが50代後半からずっと続いています。前半の気分が上がる工夫をいろいろ考えたこともありましたがうまくいかず、結局は流れに身を任せるのが一番、という感じになっています。後半に気分が上がるのは、いわゆる「作業興奮」の影響も多分にあるでしょう。つまり生理的な変動なのです。
私が言いたいのは、人間の気分の総和は基本的に一定であり、高い幸福度や自己肯定感は決して永続しない、ということです。ずっと憧(あこが)れていた仕事に就けた、大好きな人とパートナーになれた、そうした幸福度を高めてくれるイベントに対しても、人はじきに慣れていきます。幸福度と自己肯定感はある程度平行していますから、幸福度が下がれば肯定感も下がる。しかし下がりっぱなしかと思いきや、ふとしたことで幸福度が回復される。結局はその繰り返しではないか。だとすれば、自己肯定感は自己愛の片側でしかなく、その反対側には自己否定や自己批判がもれなくついてくるのが普通ではないでしょうか。
斎藤 環
筑波大学 教授、医学博士
1961年生まれ。岩手県出身。筑波大学医学研究科博士課程修了。医学博士。爽風会佐々木病院・診療部長を経て、筑波大学社会精神保険学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」問題の治療・支援ならびに啓蒙。漫画・映画・サブカルチャー全般に通じ、新書から本格的な文芸・美術評論まで幅広く執筆。著書に『社会的ひきこもり』『母は娘の人生を支配する』『承認をめぐる病』『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)『オープンダイアローグとは何か』『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。