いくつもの才能の組み合わせで勝負する時代
かつて日本人は職業を変わらなかったですね。でもそれは、社会が固定されてて、一つの前提に則して動いていたと思ってて。石の上にも3年がまんしろとか、そこでがんばってやり続けろって教えられたわけですね。
それはなぜかと言うと、一人の人間にあるのは一つの才能。別の言い方すると、一つの才能しかないから、それを開花させろという感じだったと思うんですね。だからがまんしろって言われた。
だけど、今や一人の人間にはいくつもの才能があるってわかったじゃないですか。これからはいくつもの才能の組み合わせで勝負していく時代だと、僕は思ってて。
文科省の質問に対し答えた「異色な回答」
ちょっと前に、これからの医学教育について文科省からインタビューを受けたんですね。その時、僕以外の多くの先生たちは、総合的な医者を育てたほうがいいっていうことで、何でも診られる医者、総合医みたいなのをたくさんつくったほうがいいっていう意見だったんですけど、僕はそうじゃない意見を言ったんですよ。
みんなが総合性をめざす必要はないと。これからの世の中、まんべんなく診られる医者も必要だけれども、それ以上に、たとえば心臓外科なんだけど糖尿病にやたら詳しい人とか、整形外科なんだけど血液の病気にめっちゃ詳しい人とか、いろんなパターンの医者がたくさんいたほうがいいって言ったんです。
日本全国どこかに行けば、そういう医者がいる。今は心臓だけ糖尿病だけって分けて治療されて、間に落ち込んで悪くなっていく人がいっぱいいるので。そうじゃなくて、そういう医者がたくさん育っていくほうがいいって。
その時にすごく大切なのは、やっぱり一つ軸があること。医者の世界ではね、すごく専門性が高い軸があったほうがいいんじゃないですかって言ったんです。
そのうえで、異分野に対しても詳しい人たちをたくさんつくっていくほうが社会にとって有益だと思います、という意見を言ったんですけど。
興味がなくなれば脱ぎ捨ててもいい。
これを一般化して言うと、たとえば皆さんがすごく得意なものを一つ持って、そして、それ以外に二つ、三つって得意なものを持っていく。それぞれ高さが違うんですね。いくつかの軸を持てば、その組み合わせが自分の能力に変わるでしょ?
たとえば僕だったら、外科やってNPOやっててとか。あるいは何か別のことをやってて、コンピュータプログラミングができる、でもいいと思うんですけど。
それぞれレベルの高さは違っても、何か一つレベルの高いものがあって、そこを軸に四つも五つもあれば、その高さはそれぞれ違っても、その立体で組み合わされたその体積こそ、その人の能力であり、その複雑な形こそ、その人の個性になるんですよ。
そういう個性をたくさんつくっていったほうがいいと思ってるんですよね。特に若い人に言いたいのは、興味があれば、いろいろやったほうがいいと。そして、興味なくなれば脱ぎ捨ててもいいとは思いますね。
何か興味がわいたら、それをしばらく掘り下げて、もっと興味が出てきた時には、ずっとやっていけばいいし。二つ、三つだと重なる人がいるかもしれないんですけど、五つ、六つになってきたら、重なる人いないですよ、日本に誰も。そういうふうに複雑な形をつくっていく。
誰とも重ならないところが、自分が世の中から必要とされる場所になるっていうことですね。
僕の言ってるイメージわかりますよね。自分の好きなこと、得意なこと、やりたいことをどんどんどんどん試していくほうがいいと思います。そのためには時間がいるんですよ。時間が必ずいる。
これは、すごい大切なことなんです。今、僕、皆さんにこうやってメッセージ伝えてるじゃないですか。僕が若い時にも、世の中に、これと同じメッセージを発してる人いたと思うんですよ。世の中、広いし。