「退職金への課税強化」の論拠を検証する
しかし、政府税調における改定意見の論拠については、以下の問題点の指摘が考えられます。
1. 退職金控除の制度が転職についての意思決定に及ぼす影響が不明確
2. オーナー企業経営者・個人事業主への配慮が不足している
3.「雇用の流動化」が必ずしもよいこととは限らない
それぞれについて解説します。
◆問題点1. 退職金控除額の制度が転職についての意思決定に及ぼす影響が不明確
第一の問題点は、退職金控除額の制度が転職についての意思決定に及ぼす影響が不明確であるということです。
どういうことかというと、転職の意思決定を行うに際し、退職所得控除の金額が多少なりとも影響する可能性のある人の例としては、具体的には以下のような人が考えられます。
・あと数ヵ月待てば勤続年数が1年プラスになる人
・「勤続5年」にぎりぎり達していない人
・「勤続20年」にぎりぎり達していない人
しかし、そもそも転職を検討する人にとって、退職所得控除額が重要な理由になるケースがどれくらいありうるのか、疑問が生じます。
すなわち、転職を検討する場合、多くは、スキルアップや環境を変えることを主たる目的としています。思う仕事ができなかったり、給与アップを望んでいたり、いずれにしても、多かれ少なかれ現職に不満を抱いています。そのような人が、はたして、退職所得控除の制度があるからということを主たる理由として現職にとどまるかは疑問です。
特に、給与アップのために転職しようとしている人は、現職にとどまることで退職所得控除で多少税金が優遇されることについて、メリットを見出すことが考えにくいといえます。
なお、「長く勤務すれば退職金が優遇されるからずっと転職せずにいよう」という人もいるかもしれません。しかし、このあとに述べるように、今後、財界や雇用者側がイメージする「雇用の流動化」の下、1つの勤務先に定年まで在職し続けること自体、困難になっていくことが予測されます。
そういう厳しい環境にもかかわらず長期間在職し続けることができたのであれば、そのことへの労いとして、退職所得控除の制度の恩恵を受けてもよいのではないかと考えることもできます。
◆問題点2. オーナー企業経営者・個人事業主への配慮が不足している
第二に、オーナー企業経営者・個人事業主への配慮が不足しているという問題があります。
すなわち、オーナー企業の役員や個人事業主の場合は、長年にわたって一生懸命に事業を継続したことへの労いとして退職所得控除の恩恵を受けることは合理性があります。そうであるにもかかわらず、退職所得控除に勤続年数で差を設けず一律にするのは、かえって公平を欠くことになりかねない乱暴な議論であるといえます。
◆問題点3. 「雇用の流動化」が必ずしもよいこととは限らない
第三の問題点は、「雇用の流動化」が必ずしもよいこととは限らないということです。
「雇用の流動化」は、人材が企業を行き来しやすくなり、雇用が活性化することをいいますが、これには2つの側面があると考えられます。
・雇用者側:人件費の節約、採用活動の効率化につながる
・労働者側:転職しやすくなり、活躍のチャンスが広がる
1990年代後半以降、多くの企業が「リストラ」を行っています。また、非正規雇用に関する雇用者側の規制が大幅に緩和されてきています。
さらに、たとえば近年、「『メンバーシップ型雇用』から『ジョブ型雇用へ』」といったことがいわれるようになってきてきますが、欧米で主流の本来の「ジョブ型雇用」の中身を理解せず、「成果を出さなければそれに見合った賃金は出さない」という意味での成果主義と同じだと誤って解釈しているケースも散見されます。
そういう文脈のなかで、「雇用の流動化」という言葉は、もっぱら雇用者側の論理において語られがちだという実態があります。
政府税調で退職所得控除の改定意見を出した委員は、そのあたりの実態をどの程度理解しているのか疑問です。
実際、政府税制調査会会長の中里実氏(東京大学名誉教授 租税法)は、総会後の会見のなかで、退職所得控除の制度について「長期的な人生設計の前提となる制度」であり、そういう制度については「安定性は一定程度重要」と指摘しており、意見に対してクギをさしています。
以上のように、政府税調における、退職所得控除制度の改定に関する意見は、「雇用の流動化」を根拠としていますが、その論拠は実質的に検証すると合理的とはいえず、大いに問題があります。
退職金に関する税制は、老後の資金をどのように準備するかということとも密接に関わっています。労働者、経営者、個人事業主を含むすべての働く人々がおかれている実情を踏まえ、地に足の着いた議論を行うことが求められています。
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