結局伝わらなかった父親の「息子への思い」
前回の続きです。これほどまでに長男夫婦との間柄が険悪であったことから、被相続人は自分が亡くなった後に妻がさらに邪険にされることを恐れました。そこで、それを防ぎたいと、遺言書を作成することにしたのです。
著者は、遺言書には付言事項を書くように勧めているので、この時も、子供への感謝の言葉などを記すよう促したのですが、「感謝など全くしていないから」といって父親は頑として拒みました。
父親の死後に、どうやら10年以上も前に作成したと思われるノートが見つかり、そこには長男の言動を許せなかったのか、反省を求める批判的なことがたくさん書かれていました。
実は、もともと長男の家が建てられた場所には古いアパートが建っていました。そこから家賃収入を得て生計を立てていたことに触れたうえで、「お前たちは一体全体、私たち老夫婦のつつましい生活をどのように考えているのか、全く挨拶もなく、計画も聞かされず、突然のこの話は私たちにとって青天の霹靂である」と、長男の家のためにアパートを取り壊し、その結果、収入を失うことへの不安と怒りがびっしりと記されていました。
著者は、できればノートのコピーをとって長男にも見てもらえるよう、母親と次男に提案してみました。そこに書かれていた思いこそが、まさに父親が一番長男に伝えたかったことに違いないと強く感じとったからです。
しかし、母親と次男は私のこの言葉に反応を示さず、結局、長男がそれを目にすることはありませんでした。
確かにノートに書かれていたことは、読む者にとって決して気持ちの良いものとはいえません。ですが、そのようなネガティブな内容であっても、当人の反省を促す効果はあるかもしれません。それを読むことによって、長男の母親への態度が変わる可能性もあるでしょう。
ネガティブな言葉であっても「気持ち」は伝えるべき
あるいは、父親はノートに書いていたことを、長男に対する戒めとして、付言事項に残してもよかったかもしれません。
例えば、「あの時、お前はこう言ったよね。私に対する約束は守れなかったけど、母の面倒は絶対に見てほしい。お前がぜんぜん顔を出さないことを僕は寂しく思っていた。これからお前の母さんは一人になるのだから、僕に対してできなかったことはお母さんにしてほしいと願っている」などと。
長男に血が通っているのであれば、それによって心動かされるものがあったのではないかと今でも思っています。
実は、父親の遺言書には長男に現在の住居の敷地を相続させると記され、付言事項にはたった一言、「敷地を相続させる代わりに、残されたお母さんを大切にしてほしい」とだけ書かれていました。
父親としての最後の望みを託したはずだったにも関わらず、長男はその敷地を相続したのはよかったのですが、その後投資に失敗、多額の借金を負ってしまったそうで、相続した土地は結局1年も経たないうちに他人の手に渡ってしまいました。