(画像はイメージです/PIXTA)

予期せぬ別れに直面したとき、人は何を思い、どう乗り越えるのか。書籍『もう会えないとわかっていたなら』(扶桑社)では、遺品整理会社、行政書士、相続診断士、税理士など、現場の第一線で活躍する専門家たちから、実際に大切な家族を失った人の印象深いエピソードを集め、「円満な相続」を迎えるために何ができるのかについて紹介されています。本連載では、その中から特に印象的な話を一部抜粋してご紹介します。

 

タクシーに乗って現れた1人の老人

私は不安でいっぱいでしたが、宏さんの所在地は戸籍を追うことで、思ったよりも手間をかけずに知ることができました。宏さんはご存命で、滋賀県に住んでいたのです。

 

遺産分割協議書を作るだけなら、相続人同士が会う必要はありません。それでも、咲子さんは宏さんに会うことを強く望みました。

 

荼毘に付した勝さんの遺骨は東京のお寺で預かってもらっていました。咲子さんが故郷の鹿児島に墓を用意し、四十九日にお寺に迎えに来ることになっていたのです。咲子さんは、そのお寺に宏さんにも来てもらいたいというのです。

 

私は宏さんに手紙を書きました。妹の咲子さんが行方を捜していたこと。弟の勝さんが亡くなったこと。その勝さんの遺産があり、分割協議が必要なこと。そして、咲子さんが勝さんの遺骨を引き取りに行く日、東京で会いたいと思っていること……。

 

数日後、宏さんからの返信が事務所に届きました。

 

宏さんは、咲子さんが自分を探してくれたことにとても感謝していました。そして、手紙にはぜひ咲子さんに会いたいと書かれていたのです。

 

すぐに咲子さんに電話をかけ、手紙の内容を伝えました。とても喜んでくれた咲子さんでしたが、最後に私は残念な一言を添えなければなりませんでした。

 

「ただ、四十九日の日に東京へ来ることは難しいかもしれないとも書いてありました」

 

高齢の宏さんは体調によっては長距離の移動は厳しいと手紙に書かれていたのです。

 

「それでも、会えるかもしれないのなら、私は待つだけです」

 

咲子さんは私に何度も「ありがとう」と言って電話を切りました。

 

勝さんの四十九日の日、鹿児島からやってきた咲子さんと私は、約束の時間より早くお寺に着きました。晩秋の寒くなり始めた季節で、昼間でも足元がとても冷える日でした。

 

住職にお願いして、御堂で待つことも出来たのですが、咲子さんは「外で待ちたい」と境内に立っていたのです。二〇分ほど経ったとき、お寺の目の前に一台のタクシーが止まりました。そこから、一人の老人が降り立ちます。

 

「ひー兄ちゃん」咲子さんが歩み寄ります。

 

「咲子……、咲子か……」

 

手を取り合った二人は、すぐに顔を寄せ合い、何度も頷き、涙を流しました。

 

「まー兄ちゃん、待ってる。まー兄ちゃんのとこ、行こう」

 

私は二人と一緒に勝さんの遺骨が安置された御堂へと行きました。

 

「まー兄ちゃん、ずっとひー兄ちゃんに会いたがってたのよ。いつもひー兄ちゃんの話ばかりして……」

 

「すまんなぁ、生きてるうちに会いたかったなぁ」

 

宏さんはそう言って、小さくなった勝さんを抱き寄せました。

 

「ひー兄ちゃん」

 

咲子さんが宏さんの肩を抱きます。

 

「生きててくれて本当に良かった。きっと、まー兄ちゃんが私たちを会わせてくれたのよ」

 

その言葉に宏さんは何度も頷き、声を出さずに泣きました。三人の兄妹は、じっと身体を寄せ合っていました。まるで、会えなかった長い時間を埋め合うように……。

 

本連載は、2022年8月10日発売の書籍『もう会えないとわかっていたなら』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございます。あらかじめご了承ください。

もう会えないとわかっていたなら

もう会えないとわかっていたなら

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扶桑社

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