(画像はイメージです/PIXTA)

予期せぬ別れに直面したとき、人は何を思い、どう乗り越えるのか。書籍『もう会えないとわかっていたなら』(扶桑社)では、遺品整理会社、行政書士、相続診断士、税理士など、現場の第一線で活躍する専門家たちから、実際に大切な家族を失った人の印象深いエピソードを集め、「円満な相続」を迎えるために何ができるのかについて紹介されています。本連載では、その中から特に印象的な話を一部抜粋してご紹介します。

 

40年前に音信不通となったもう1人の兄

私は東京で相続専門の行政書士をしていますが、最近、一人暮らしの方が亡くなり、その相続を担当することが増えています。一人暮らしの方の相続は、相続人が遠方に住まれていることも多く、とても大変なのです。

 

咲子(さきこ)さんの案件もそのひとつでした。

 

その日、私はいつもより遅くまで事務所に残り、仕事をしていました。すると、事務所のドアをノックする音が聞こえたのです。ドアを開けると、そこに喪服を着た一人の老女が立っていました。それが咲子さんです。

 

鹿児島在住の咲子さんは、東京で一人暮らしをしていたお兄さんが亡くなり、その葬儀を取り仕切るためにやってきていたのです。しかし、お兄さんに遺産があることがわかり、その手続きが必要になったとき、私の事務所の看板を見つけて訪ねてきたのです。

 

「明日には鹿児島に帰らねばならないんです」

 

咲子さんはお兄さんの葬儀のために、何日も東京に滞在していました。飛行機の予約もあり、長いホテル住まいは金銭的にも厳しいため、相続の手続きをお願いしたいというのです。

 

咲子さんは七二歳。咲子さんもお兄さんの勝(まさる)さんもともに一人暮らしをしていました。咲子さんは、お兄さんを見送るために葬儀を取り仕切ったあと、相続の手続きのために遅い時間から私の質問に答えてくれました。

 

「小さいときは、ひー兄ちゃんとまー兄ちゃんのあとばかりついて歩いてました」

 

一通りの話を終えたとき、雑談の中で咲子さんが何気なく発した言葉がひっかかりました。最初に話し始めたとき、「二人だけの兄妹(きょうだい)だから」と言っていたからです。

 

「すみません。ひー兄ちゃんというのは、どういう関係の方なんでしょうか?」

 

すると咲子さんは、沈んだ表情で答えました。

 

「兄です。もう一人の……」

 

咲子さんには二人の兄がいたのです。長男の宏さんと二男の勝さん。それが宏さんは四〇年以上前に音信不通となり、今では生きているのか死んでいるのかもわからないといいます。

 

「だから、まー兄ちゃんだけが兄妹のようで……」

 

私は咲子さんに説明しました。もし、宏さんがご存命であれば宏さんも相続人となり、遺産分割協議書を作成する必要があるのだと……。

 

しかし、咲子さんは宏さんの所在の手がかりになる情報は何も持っていませんでした。こうして私は宏さんの行方を追うことになったのです。

 

次ページタクシーに乗って現れた1人の老人

本連載は、2022年8月10日発売の書籍『もう会えないとわかっていたなら』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございます。あらかじめご了承ください。

もう会えないとわかっていたなら

もう会えないとわかっていたなら

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