思い出に浸りかけながら…なんとか片付けが終了
父のものでは本が2000冊以上ありました。小学館の『日本百科大事典』全13巻、中央公論社の『日本の文学』全80巻、『世界の文学』全54巻、これらは1巻も欠けることなく全巻揃っていました。
もっとも家族は誰も手に取ったことがない。父もどれだけ読んだかはかなり怪しい(笑)。何しろエロい本や雑誌もいっぱいあって、片づけながら、あーあ、離れの書斎で何やってたんだか、と苦笑したくらいですから。
でも父の名誉のために言っておきますが、どうやら作家を夢見ていたのは本当だったらしく、書斎には書き上げた一篇の小説原稿が残っていました。中身にはあえて言及しませんが、父の夢のかけらに触れた気がして、ちょっと感動しました。
書斎にあった本は、すべて車に積んで東京まで持ち帰り、神田の古本屋さんに持っていきました。でも、ほとんど二束三文。百科事典などは中身が古すぎて一銭にもならず、結局、捨てました。
エロい本や雑誌は、漫画家のみうらじゅんさんがほしいというので全部引き取ってもらいました。処分に困っていたので助かりました(笑)。
父は昭和歌謡が好きで、アナログのレコードもかなり持っていました。これも東京に持ち帰り、新宿のレコード屋さんで売ったのですが、1枚1円とか2円にしかならず、がっかり。貴重盤でもあればと期待したのですが、まさに取らぬ狸の何とやらでした(苦笑)。
私のものも大量にありました。母は何1つ捨てていなくて、小学生のときの縦笛、ハーモニカに彫刻刀から、小学4年のときのレインコート、中学3年で応募した書道コンクールの作品と参加賞まで、もう何から何まで全部取っておいたのです(笑)。
懐かしくて、ダンボールを開けるたびに、1つひとつ物を出しては見入ってしまい、ちっとも片づけが進みません。つい思い出に浸ってしまうのです。
家財や遺品の整理にはマネージャーさんをはじめ所属事務所のスタッフさんにも手伝いに来てもらったのですが、しまいには、「明子さん、時間がかかっちゃうから、じっくり見ないで!」とお𠮟りを受ける始末(苦笑)。
私が東京から送り続けた舞台衣裳やトロフィーなどのほかに、両親は私が出たテレビ番組を欠かさずビデオに録画していたし、新聞や雑誌などはファイルにして保存していました。番組ポスターや各種の賞状なども全部保存してありました。
これらは資料価値もあるのですべて東京の自宅(両親と暮らしたあの一戸建てです)へ持って帰りました。ビデオは再生用のデッキがなくて見られないので、専門業者さんに頼んで全部DVDにダビングしました。ビデオの本数が多く約40万円もかかりましたが、私の仕事の記録ですし、それを見て家族も喜んでくれたので、やってよかったと思います。