敗戦後のハイパーインフレ終了後の日本には、日本経済はまったくのゼロからスタートせざるを得ませんでした。本来であれば、日本も外国から巨額の借入れを行い、高い金利を支払いつつ、外国資本に金融を左右されるという不安定な状況で経済を再生させる必要がありました。ところが日本経済は偶然にもある時期からそうした状況とは無縁となりました。経済評論家の加谷珪一氏が著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)で解説します。

株価上昇で企業価値がインフレに追いついた

株価も急上昇しました。

 

朝鮮戦争前の1951年1月に100円前後だった日経平均株価は開戦翌年から急上昇を開始し、ピークとなった1953年には一時450円を突破。株価上昇によって企業価値がインフレに追いつくようになり、各社の経営基盤も安定することになったのです。

 

朝鮮特需の効果はそれだけにとどまりません。ドルという貴重な外貨を大量に獲得することができたからです。特需のほとんどは米軍からの発注ですから、支払いは基本的にドルになります。今の日本では想像もできないことですが、経済が破綻した国にとって外貨というのはダイヤモンドよりも貴重な資産です。

 

先ほど説明したように、モノ作りを行うには、まず原材料を輸入しなければならず、それには外貨が必要となります。これがいかに大変なことなのかは、立場を逆にしてみれば想像しやすいと思います。例えば今、皆さんがネットオークションなどで使い古した中古品を販売すると仮定しましょう。商品を落札した相手が、経済が破綻している国の通貨で代金を支払うといったらどうするでしょうか。絶対にその通貨では受け取らないはずです。

 

つまり終戦直後の日本企業が外国からモノを輸入したいと取引を持ちかけても、相手は日本円では絶対に受け取ってくれません。どのような犠牲を払ってでも外貨を獲得し、その外貨で支払いを実施しなければ、モノ作りをスタートすることができないのです。

 

米軍からの思わぬ大量発注によって、日本は貴重な外貨を、借入れを実施することなく手に入れることができました。特需によって獲得した外貨は、次の生産を行うための原材料の購入に充当できます。

 

ゼロから成長する国が必ず直面する外貨の確保という大問題が、朝鮮特需によって魔法のように解決し、日本はこの資金をベースに一気に高度成長の波に乗ることができたのです。

 

このタイミングで朝鮮戦争が勃発したことはまったくの偶然ですし、日本政府が関与できたわけでもありません。戦争に対して不謹慎な言い方かもしれませんが、日本にとっては本当にラッキーな状況だったと言えます。

 

もし朝鮮戦争がこのタイミングで発生していなければ、日本の成長はもっと低次元にとどまっていた可能性が高いでしょう。外貨を確保するため、外国に借金しなければなりませんから、長期にわたって利払いに苦しめられたと予想されます。

 

実際、戦争の舞台となった朝鮮半島では南北の分断が続き、韓国は長い期間にわたって外貨を十分に獲得できない状態が続きました。今でこそ韓国は経済大国となりましたが、それでも企業がドルなどの外貨を獲得するのは容易ではなく、つい最近まで韓国は海外からの借入れに頼っていました。経済成長のスタート時点において、豊富な外貨を入手できたのかどうかは、数十年にわたって、その国の経済に影響を及ぼすのです。

 

加谷 珪一
経済評論家

 

本連載は加谷珪一氏の著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)から一部を抜粋し、再編集したものです。

縮小ニッポンの再興戦略

縮小ニッポンの再興戦略

加谷 珪一

マガジンハウス新書

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