予期せぬ1,000万円の負債
三年前のその日、私は大好きなお店でランチを楽しんでいました。その後、会計を済ませた私がお店を出ようとすると、厨房の奥から出てきたご婦人に呼び止められました。
「相続診断士の方ですよね?」
そのお店のオーナーの奥様でした。私は以前、そのお店を借りて相続セミナーを開いたことがあったので、奥様はそれを覚えていて声をかけてきてくれたのです。
最近ご主人を亡くされ、相続の相談をしたいとのことでした。私は日をあらためて、奥様の話を聞きに伺いました。
ご主人の実さんは個人で法人をいくつも持ち、手広く商売をしているような人でした。晩年は東南アジアの国に住み、そこにも法人を持っていたそうです。それが数年前、大きな病気が見つかり、帰国して緩和治療を行っていたのですが、帰らぬ人となってしまったのです。
ところがご主人の死後、いくつもの負債が見つかったのです。なかには東南アジアにあるものもありました。
「私にはどうしたらいいのかわからなくて……」
ご夫婦には五〇歳前後の長女、長男、次女という三人の子どもがいました。遺言書などは見つかっていないということなので、奥様と三人の子どもたちが相続人となります。
後日、今後の対応を協議するため、相続人に集まっていただきました。お子さんたちはそれぞれが夫婦揃っての参加です。ご主人を亡くして気落ちしている奥様に代わって、長女の真希さんがその場をまとめていきます。元気がよく、言葉も多い真希さんでしたが、実さんの負債を計算し、その総額が残されている資産の額を超えた頃から、ため息が多くなりました。
そこに東南アジアにある負債を加えると、実さんの資産は一千万円ほどのマイナスになる結果になりました。
「こんな借金、どうしたらいいのよ」
うなだれる真希さんに、私は相続放棄の提案をしました。相続を放棄すれば、借金は相続する必要はありません。三人の子どもたちは、乗り気でしたが、奥様が尋ねてきました。
「ここにいる私たちが放棄したら、その借金はどうなるんですか?」
「ここにいる皆さんと、皆さんのお子さんが相続を放棄するということであれば、相続順位が下位の実さんのご兄弟に相続されることになります」
奥様は「そんな迷惑かけられないわ」と首を横に振りました。
もちろん、ご兄弟も相続を放棄することはできますが、実さんに負債があったという連絡も届いてしまうことになります。私がそこまで説明すると、それまでずっと黙っていた真希さんのご主人、徹さんが初めて口を開きました。
「お義父さん、それだと嫌がるんじゃないかな……」
実さんと兄弟たちは反りが合わず、もう長い間、会ってもいなければ、連絡も取っていない間柄だったのだそうです。そんな人たちに負債があったことを知られたくはないだろう、と徹さんは言うのです。