「主人のこと、よろしく…」
年が明けて、清さんが入居する老人ホームが決まりましたが、すぐに入居はしません。
二人で暮らせるぎりぎりの日が来るその時まで、これまで暮らした家で一緒に過ごしたいと思ったからです。
それでも、家財道具などの引っ越しは急いでほしいと和子さんは言いました。自分がいなくなったとき、突然入居しても清さんが困らないように生活を整えておいてあげたいというのです。そこまでできていれば安心だと……。
私は、引っ越しの準備も手伝いました。夫婦の本棚にアルバムを見つけた私は、和子さんに尋ねました。
「アルバムも老人ホームに持っていきますよね。奥さんのこと思い出してほしいですもんね」
「嫌だよ」
和子さんは力なく首を横に振りました。
「写真はあっても、私はいないんだから……。だったら、きれいさっぱり忘れてほしい。私がいなくなってから、私を探してほしくなんかないんだよ」
きっと和子さんは、自分のいなくなったあとのことを何度も何度も想像してきたに違いありません。清さんのために、そんな辛い想像を何度もしてきたのです。
家財道具の引っ越しも終え、あとは身一つで入居すればいいという体制が整ったとき、和子さんが、笑顔を見せてくれました。
「本当にありがとう。これで安心だわ」
これは私を気遣って言ってくれたものだと思います。和子さんは安心などできていないはずです。和子さんが本当に安心できるとしたら、それは清さんが老人ホームに入居して、笑顔で過ごしている様子を見たときでしょう。何かで困った清さんをスタッフがちゃんと支えてくれるのを見たときでしょう。
私は神様ではありませんから、和子さんに本当の安心を与えることなどできません。それでも、和子さんの不安を減らせるよう、彼女が不安に思うことを一つ一つ潰していきたいのです。
それがいつか、和子さんの安心に繋がることを信じて……。
そんなことを考えていた矢先、和子さんが亡くなりました。
「主人のこと入居までしっかりとよろしくね」
和子さんの言葉を思い出しながら、老人ホームと協力し、清さんに無事入居していただくことができました。本当はそんな手続きのすべてを和子さんが自分でやりたかったに違いありません。私はその思いを引き継いだに過ぎないのです。