北米、中米、南米、欧州、中近東、アジアなど四十ヶ国・地域を旅した著者。地球にはあまりに多様な人、文化に溢れていることを知るきっかけとなった著者の体験を見る。

コロンビアへの入国審査が厳しかったワケ

中南米各国のビザは、旅行出発前にロスアンジェルスで取得した。しかし、ビザを取得したからといって入国できるわけではなく、国境で入国審査を経てはじめてその国に入国できる。当時のコロンビアは世界でも有数のコカインの生産地であったため、それを目当てにわれわれのような若者の貧乏旅行者が流入した。このため、他の国に比べて入国審査が厳しかった。

 

コスタリカのサンホセ市では、コロンビアまで行ったが空港の入国審査で入国を拒否されて出発地にもどされた日本人学生の話を聞いたので、コロンビア大使館に行き、なぜ入国を拒否するのかその理由を質した。しかし、大使館はビザは発給するが、入国の審査はイミグレの権限なのでわからないとの回答。理屈では確かにそうであるが、コロンビアに入国できないのではという不安と怒りのために、大使館の担当に文句を言う。

 

当時は、世界的に第二次世界大戦後の高度経済成長期であったために、経済や物質的なものを追求する価値観が主流であった。これに対してベトナム戦争を契機とした反戦思想の高揚、社会的既成制度等への反発と新たな文化への志向、精神的充足など、既成体制や大人社会に反発する学生を中心とした若者の行動が世界中で活発になされた時代でもあった。

 

その一つの表れが、長髪、ジーパン、リュックで世界中を旅行する若者達であった。その、われわれ旅行者間ではコロンビア入国許可条件は次のようだと言われていた。

 

①出国の航空券があること。

②長髪、リュックはだめ

 

(コスタリカの首都サンホセで会った日本人学生二人の話では、彼らはパナマ→サンアドレス島〈コロンビア〉→カルタヘナの経路でコロンビア入国を試みたが、荷物がリュックだということで、サンアドレス島からパナマに送還されたとのこと)。

 

③②に加えて、服装はスーツ、ネクタイが必要

 

(同じくサンホセの同宿だったアメリカ人旅行者の話)。

 

このため、コロンビア入国前のパナマで次のような対策を講じた。

 

ア.コロンビア行きをやめてパナマからエクアドル行きの船を捜す。しかし、これは二週間に一便で、かつ百二十米ドルと高いのであきらめる。

 

イ.仕方がないのでパナマ→メデリン(コロンビア)→ボゴタ→キト(エクアドル)の航空チケットを九五・五五米ドルで購入。ただし、コロンビア入国後はメデリン以降の航空チケットはキャンセルしてバスで移動する予定。

 

ウ.普通のズボンを買う(ジーパンでは入国できないと航空会社の職員からも言われた)。

 

エ.長かった髪を切る。

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松原 悟朗

一九四七年に鹿児島県に生まれる。
都市計画コンサルタント。技術士(都市及び地方計画)。
株式会社 国際開発コンサルタント代表取締役社長、一般社団法人 都市計画コンサルタント協会会長、早稲田大学非常勤講師などを歴任。
都市計画・まちづくりに係わる著書、論文、講演多数。
二〇〇八年度土木学会デザイン賞優秀賞受賞。
二〇一五年国土交通大臣表彰(建設事業関係功労都市計画事業関係)

本記事は、2021年9月刊行の書籍『国境 ―寄り道人生のすすめ―』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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