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「恵比寿」のランドマークを守り続けて100年余
住みたい街ランキングの上位を常に独占している「恵比寿」。駅名の由来となったのは、この地に醸造場を構えていた「エビスビール(恵比寿麦酒)」です。
醸造場は明治22(1889)年から操業し、恵比寿駅はここから出荷されるビール専用の貨物ターミナルとして開業しました。明治30(1900)年代以降は一般旅客利用も開始されますが、隣の渋谷駅と同様に起伏の激しい地形にあったため、ホームは盛土され高架状に造られました。
現在の駅ビル「アトレ」が建つまで駅周辺は閑散とし、ホームから見えるのは中低層の商店群や遠くに建ち並ぶ醸造場の建物ぐらいだった記憶があります。
平成時代に入ると醸造場は100年の歴史に幕を閉じ、その跡地は複合商業施設「恵比寿ガーデンプレイス」に生まれ変わります。その途端、恵比寿はこれまでとまったく違った発展を遂げることになります。
ホテルやショッピングスポット、レストラン、美術館など、敷地面積9万㎡超にわたるランドプランが実現できたのは、長年にわたりこの地を守ってきた醸造場のおかげです。
醸造場の歴史は敷地内にある「恵比寿ビール記念館」で振り返ることができ、併設のテイスティングサロンでは現代の新作ビールも味わうことができます。エビスビールは今もなお恵比寿のランドマークとして君臨し続けているのです。
「大井町」光学通りが「エゴマの原っぱ」を賑やかに
ニコンは大正7(1918)年から品川区西大井にある自社工場(現・大井製作所)で光学ガラスの研究を開始します。当時のニコン社員の唯一の通勤手段といえば、国鉄(現・JR)「大井町」駅でした。
一般旅客利用開始からな間もない大井町駅周辺には、品川の旧郡名「荏原」の由来となった荏胡麻(エゴマ)が生い茂る原っぱもまだ残っていたかもしれません。そんな牧歌的な街も、工場で働く労働者たちの需要に支えられながら賑わいを増していきます。
大井製作所と駅とを結ぶ道路はいつしか「光学通り」と呼ばれるようになり、通り沿いに仕事帰りのニコン社員を目当てにした商店が増えはじめます。光学通りの商店街は駅前繁華街と繋がり、道路沿いはどんどん商業化されていきます。
しかし、自然発生的に増殖した商店街は賑わい故の道路拡張によって消滅することになります。そして大井製作所も平成28(2016)年に役割を終え解体されます。
これで長年繋いできた駅との絆が断ち切られるのかと憂えるのも束の間、大井製作所跡地に「ニコン新本社建設」のニュースが入ってきたのです。新たな最寄り駅となるのは横須賀線「西大井」駅です(大井製作所の操業当時、西大井駅はまだ開業していませんでした)。
今後は西大井駅に向かって「新・光学通り」ができるのでしょうか。ニコンと西大井駅周辺の発展に期待したいものです。
まとめ
線路や駅を挟んだ“あちら”と“こちら”とで街の様子がまったく異なるケース、これは企業の進出状況や経済情勢などによっても変化していきます。
浜松町の「浜松町構内跨線(こせん)人道橋」はすでに築40年が経過しておりそろそろ建替え時です。また企業の栄枯衰退サイクルも30年程度という説がありますから、概ね理に適った世代交代時期なのではないでしょうか。
新大久保のロッテ新宿工場はコリアンタウンの土台を創り、エビスビール醸造所は「恵比寿ガーデンプレイス」という広大なランドマーク予定地を100年にわたり守って来ました。ニコン大井製作所も古くは大井町駅の繁栄に貢献し、今後は西大井駅の発展に寄与していくことでしょう。