バンコクとミャンマーを結ぶ「ダウェイの港」
バンコクからミャンマーのダウェイへ。2015年の7月、タイの経済界が期待するルートを走った。バンコクから国境まで約200キロ、国境からダウェイまで約140キロ。この近さが、タイ側が期待する最大の理由である。
カンチャナブリのバスターミナルからロットゥーという乗り合いバンが国境を結んでいた。1日4本ほど運行されている。道はいい。ときどき、「AH123」の標識も目にする。アジアハイウエイの123号線である。
国境の手前で、車は脇道に逸れた。先にあったのは、イタリアン・タイ・デベロップメントのオフィスだった。ショベルカーや大型トラックが何台も停まっていた。バンコクからダウェイまでの道の整備はタイ側の資金で行われている。それを請け負っているのが、イタリアン・タイ・デベロップメントのようだった。イタリアとタイの合弁である同社は、タイ国内で多くの実績を残している。
国境はすぐ近くだった。しかし公共の交通機関があるのはここまでだった。ミャンマー側のイミグレーションまでは6キロあるという。ミャンマー人の農夫が、小型トラックの荷台に乗せてくれた。
ミャンマー側のイミグレーションに着いた。ティーキーという山間の小さな村である。しかし工事関係の車が多い。店は免税店とガソリンスタンドだけ。ここが道路の整備の前線基地になっていた。
悪路がはじまった。ティーキーで車をチャーターし、海に向けた道をくだりはじめる。砂埃が舞う未舗装路だが、道幅は2車線で狭くない。道の拡張がようやく終わったという段階に見えた。しかし途中の橋の修復は手がついていない。幅の狭い橋が続く。なかには大雨で橋脚の下の土砂がえぐられた橋もある。そこでは乗客が降り、車だけが先に渡る。
ダウェイまでは5時間ほどかかった。道が悪く、車はスピードを出せなかった。
アセアン経済回廊─。そこにはアセアン諸国の思惑が交差する。ダウェイの港を整備し、そこから物資をタイに運ぶ。マラッカ海峡をまわるより、はるかに早く物資がタイに届く。そのメリットはタイとミャンマー、ベトナムに及ぶ。
しかしマラッカ海峡を通る船からの物流を考えるマレーシアとシンガポールはいい顔をしない。アセアン経済共同体には、これからもアセアン内の綱引きが待っている。
回廊はインドへとつながっていく
インドシナ半島を大横断した東西経済回廊は、さらに南アジアと接続されていくだろう。ミャンマーの向こうにはインド12億の巨大マーケットが広がっているのだ。
かつてインドとミャンマーの国境地帯には少数民族問題が横たわっていた。カチン族、ナガ族などの人々がミャンマーとインド両政府に対して独立運動を展開、治安が悪く外国人の入域も許可されていなかった。
しかし時代はインド側から変わった。少数民族ゲリラの勢力が弱まり、治安が良化してきたのだ。観光業の促進を考えたインド政府は、外国人旅行者の入域制限を一部を除いて撤廃する。インド東北部の諸州が外国人にも開放された。これを機にミャンマー側との国際国境のオープンも予定されている。東西回廊のミャワディからミャンマー北部のマンダレーを通過し、インドでは第2次大戦の激戦地として知られるインパールに至るルートだ。
現在はインド人とミャンマー人しか通過できないこの道が国際国境となれば、いよいよアジアのほぼすべての地域が陸路で行き来できるようになる。物流は大きく変わっていくだろう。