フィリピンのスラムで、31歳下のフィリピン人女性と暮らす日本人男性・吉岡学(仮名)さん。日本から東南アジアへやってくる中高年は、言葉の壁で社会に馴染めないことも多いが、彼はタガログ語をしっかりと学び、現地社会にどっぷり浸かっている。その生き様は、フジテレビ系の人気番組「ザ・ノンフィクション」(2019年5月26日放送)でも取り上げられた。しかし「お金がなくても幸せ」に思われた生活は…。ノンフィクションライターの水谷竹秀氏が解説する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
「助けてください」フィリピン移住男性・31歳下妻との“お金がなくとも幸せな生活”が急転 (薪から起こした火でご飯を炒める吉岡さん 撮影:水谷竹秀氏)

しかし、現実は…吉岡さんからきた「予想外の連絡」

そういった意味でフィリピン人は親しみやすく、人間関係を築きやすいというのが吉岡さんの持論である。

 

もちろん、日本は東日本大震災以降、「絆」という言葉に象徴されるように、人と人とのつながりが見直されてきたから、吉岡さんが暮らしていた当時の日本とは状況が異なるかもしれない。

 

確かに、お金がなくても人と人とのつながりがあれば、心の隟間は埋められるだろう。私自身も学生時代、ボランティア活動でこの国の電気も水もない辺鄙な村を訪れ、交流した村人の笑顔に囲まれる度に「物質的な豊かさは幸せに結びつくのか」などと自問を繰り返し、浅はかな幸福論を考えてみたものだ。

 

フィリピンのスラムでは洗濯物がまとめて屋外に干されている

 

しかし、現実はそんなに単純ではない。

 

それを決定づけた出来事が、吉岡さんの息子の誕生だった。私は携帯電話のメールでその一報を知らされたが、出産予定より2ヵ月も早く生まれたために低出生体重児であることが分かった。

 

出産祝いをするために2週間後に訪問してみると、赤ちゃんの顔は額のあたりが赤みがかり、足や腕は一握りしたら折れてしまうのではないかと思うほどか細く、ずっと目を閉じたまま。様子がおかしいのは一目瞭然だった。

 

帰り際に幾ばくかの祝い金を渡したが、その2日後に吉岡さんから携帯電話にメールが届いた。

 

「子供の容態が悪くなり、体重が1キロしかありません」その次のメールは妻のロナさんから。「助けてください。今私たちは病院にいます。医師からは『敗血症』と言われました。お願いです」続いて吉岡さん。「こんばんは。今日すごく疲れました。病院から50分の距離を歩いて帰ってきました」直接的ではないが、その意図は行間から滲み出ていた。

 

酷かもしれないが、これ以上、私が援助をするわけにはいかない。これまでにも困窮した日本人男性の取材でお金を要求されて何度も痛い目に遭い、その時の取材経験がトラウマになっていたからだ。お金をあげればまた要求され、拒否すれば関係が切れるかもしれない。

 

私は「子供さんの無事をお祈りします」とだけ返信し、そのまま連絡を取らなかった。