フィリピンのスラムで、31歳下のフィリピン人女性と暮らす日本人男性・吉岡学(仮名)さん。日本から東南アジアへやってくる中高年は、言葉の壁で社会に馴染めないことも多いが、彼はタガログ語をしっかりと学び、現地社会にどっぷり浸かっている。その生き様は、フジテレビ系の人気番組「ザ・ノンフィクション」(2019年5月26日放送)でも取り上げられた。しかし「お金がなくても幸せ」に思われた生活は…。ノンフィクションライターの水谷竹秀氏が解説する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
「助けてください」フィリピン移住男性・31歳下妻との“お金がなくとも幸せな生活”が急転 (薪から起こした火でご飯を炒める吉岡さん 撮影:水谷竹秀氏)

半年後、再び「満員バス」でスラムの吉岡さん宅へ…

それからスラムを訪れたのは半年後だった。

 

マニラ首都圏から長距離バスに乗り込む。50人乗りのバスはいつも満員で、通路にも乗客が立ち乗りをしているほどだ。乗務員はその間を縫うようにして切符切りばさみをカチャカチャ鳴らし、乗客一人一人に器用に切符を売っていく。たとえすし詰めになったとしても、乗務員が切符を売りさばいていく様子はまさしく神業(かみわざ)である。

 

乗客ですし詰めになったバスの中で、器用に切符を売りさばく従業員(中央)

 

一度、吉岡さんの自宅からマニラに戻る時、あまりにも乗客過密状態になっていたため、私は乗り口の階段に座ったこともあったほどだ。その時は最後列から最前列までずっと乗客が立っていて、通路に通れる隟間はないはずなのだが、それでも乗務員は切符を売りにくるのだ。

 

バスは間もなく北ルソン高速道に入り、両側に田んぼが広がる一本道をひた走る。

 

その途次、「バロット」と呼ばれる孵化(ふか)直前のアヒルの卵や豆、飲料水などを抱えた売り子がバスの中まで入って売りに来るのもフィリピンの日常風景だ。

 

マニラから1時間半ほど北へ走ると、終点のターミナルに到着する。近くには古びた教会が鎮座し、入り口には白髪の老婆が紙コップを持って地面に座り込み、物乞いをしている。

 

吉岡さん宅の近くにそびえ立つ教会は築200年以上の歴史がある

 

私はそこに立ち止まっていると、タンクトップに短パン姿の青年たちが近づいてきて「フラワーズ、10ペソ!」と呼び掛けてきた。彼が手にしているのは、「サンパギータ」と呼ばれるジャスミン科の白い花で、フィリピンの国花だ。

 

教会の近くには広場があり、その周辺には衣類や食材などの露店がひしめくように立っている。この広場からトライシクル(サイドカー付きオートバイ)に乗り、5分ほど走ったスラムに吉岡さんの家はあった。

 

井戸がある広場を左折し、狭い砂利道を通って右に曲がると、10人ぐらいの若いフィリピン人男性たちがテーブルを取り囲み、昼間からブランデーをあおっていた。その傍(かたわら)に並ぶ竹で組まれた鶏小屋からは、顔を出した鶏が餌をついばみ、鶏糞(けいふん)の臭いが漂っている。地面には無数のハエが飛び交う。

 

日曜日のためか、周辺からは大声でカラオケを歌う声が聞こえてくる。

 

真っ昼間から屋外でカラオケを楽しむフィリピン人庶民たち

 

ゲートの方に向かって進むと、吉岡さんの妻、ロナさんが笑顔で迎えてくれた。