オードリー・タンの母、李雅卿氏が創設した学校「種子学苑」。子どもたちは、何を学び、いつ休むかを自分で決める自主学習を行います。ある日、生徒が学校生活に対する不平不満を同氏に打ち明けました。 ※本連載は書籍『子どもを伸ばす接し方』(KADOKAWA)より一部を抜粋・編集したものです。種子学苑に集う子どもや親、先生から寄せられた質問に、同氏が一つ一つ答えていきます。
「学校をやめて、家で勉強したらダメ?」オードリー・タン母の答え ※画像はイメージです/PIXTA

「学校をやめて家で学ぶ」生活…それでもこの道を選びますか?

最初に、勉強するための場所や教材を探さないといけません。学校が校内の利用を許可してくれることもありますし、図書館、博物館、友達の家なども利用できます。あなたが何かを「面白い」と感じたら、同じことに興味がある人を見つけて、一緒に勉強したり、協力してもらったり、教えてもらったりすることができます。もちろん、場所も教材も向こうから歩いてくるものではないので、人に聞いて、調べて、ゼロから作りあげる、つまり全てを自分で発見し、実行する必要があります。

 

次に必要なのは、時間配分です。1日24時間をどう使うべきか考えます。そして最後に、「自分にとって大切な事」とは一体何なのか、真剣に考えなければなりません。

 

あなたはよく「自分には関係ない」という言葉を使います。でも本気で自分の行動に責任を持つようになると、物事がそんなに単純ではないことに気づくでしょう。

 

「ホームスクール」は小説のようにロマンチックなものではなく、とても大変なことです。その中でも一番大変なのは、「他人の視線」に耐えること。

 

どんな社会にも独自のルールがあり、正規のレールから外れた人は、皆の注目を集めがちです。人々は自分の経験や想像力に基づき、意見や心配を口にするでしょう。

 

するとあなたは、「自分のことをうわさしているのかな」「どんな風に思われているんだろう」と不安になり、つい他人の目に映る自分を意識したり、自分の行動に対する評価が気になったりします。普通の人でも周囲からの評価は付きまとうものですが、自分一人の力で学ぼうと決め、それを実行したとたん、想像以上に多くの人から注目され、色々と言われるようになります。

 

それはまるでそよ風が一瞬で嵐に変わるようなものです。あなたの「絶対負けない」という決意も、一気に混乱と動揺の渦に巻き込まれます。このことに唯一メリットがあるとすれば、あらゆる人が自分に口出ししてくるので、知り合いが増えるという点でしょうが、そんなことを望む人は少ないでしょうね。もちろん「そこから何かを学べるかもしれない」と考えることもできるとは思います。

 

本来「学び」とは「学校」や「学籍」と必ずしも関連性があるわけではありません。絶え間なく続く人生の中で、学校の勉強はほんの一部にすぎません。人生における本当の学びとは、そんな知識とは比べ物にならないほど大きなものです。

 

この生活には、ほかにも大小様々な困難があります。例えば年齢制限があって、あなたを入れてくれない場所がたくさんあります(国家図書館は利用者カードを発行してくれません)。買い物や書類の申請をしようにも、相手に信用されない可能性があります。

 

そう! 相手に信用されないのは、とても嫌な感覚です。でも学校に行くのをやめたその日から、この感覚があなたを待ち受けます。

 

まずは親御さん、次に先生、校長先生、クラスメイト、親戚(しんせき)のおじさん、おばさん……あらゆる人があなたを心配して、責任感の名のもとにあなたと話をしたがります。その一人ひとりに「これは何度も慎重に考えた上で出した結論だ」と納得してもらう必要があります。

 

すぐに分かってくれる大人もいれば、そうではない大人もいます。一番辛いのは、自分にとって大切な人が理解してくれないこと。この場合、分かってもらえる方法を何とか見つけなければなりません。