オードリー・タンの母、李雅卿氏が創設した学校「種子学苑」。子どもたちは、何を学び、いつ休むかを自分で決める自主学習を行います。ここでは、日本の高校生の子をもつ親から寄せられた質問に、同氏が答えていきます。 ※本連載は書籍『子どもを伸ばす接し方』(KADOKAWA)より一部を抜粋・編集したものです。
台湾天才IT相オードリー・タンの母親が語る「親の責任」とは何か? ※画像はイメージです/PIXTA

すぐに「分からない」と言ってしまうワケ

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我が子は面倒くさくなって考えることをやめ、「分からない」の一言で済ませがちです。

そういう子には、どのような声がけをされていましたか?

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子どもが「分からない」と言うのは、それが一番安全な答えだからです。

 

両手をあげて「分からない!」と言うことで、責任を取る必要がなくなるのは、そこにはっきりとした境界線がないことを意味します。

 

ここでいう境界線とは、人が自分で決定し、自分で責任を負う範囲のこと。

 

その範囲内にあることは必ず本人が決定し、他人は意見を伝えることしかできません。また、その決定がどんな結果をもたらそうとも、本人だけの責任です。

 

他人と境界線の範囲が重なった場合は、本人同士で話し合って決定し、双方が責任を取ります。我が子に自分の行動に責任を持てる子になってほしいと思うなら、大人は子どもの境界線の中に入っていかないよう注意してください。

 

例えば、子どもが小さいうちは思うようにご飯を食べない時がありますね。でも食事を「子どもの境界線の中のこと」と考えると、親がするべきことは、ご飯の時間に栄養のある食べ物を用意することだけで、それを食べるかどうかは子どもの問題です。ご飯を食べずにあとでお腹が減ったら、それは子どもの責任で、親が心配したり、怒ったりすることではありません。もし親が用意したものと子どもが望むものが違ったら、その時は話し合いで解決しましょう。

 

子どもの中で自分の境界線がはっきりしてくれば、「分からない」という声を聞く機会も減っていきます。

 

この境界線は、子どもの成長段階に応じて変化しますし、文化や時代によっても異なります。ですから、お互いの境界線について話し合うのは、人と人が共に生きるためにも大切なことだと思います。

「子どもを良い市民に育てるのは、親の責任」

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息子は幼少期、病気がちでした。今は父親の身長を越すほど成長しましたが、繊細さが気になります。個性と捉えればと言われることもありますが、子どもが心配でなかなか子離れできないでいます。

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親心とはそういうものですよ! でも、たとえ体が弱くても、生き抜く知恵は必要です。

 

自然の流れから言えば、親は子どもより先にこの世を去ります。ですから、まだ親が子どもの面倒を見られるうちに、子どもの自主性や能力、独立心を育てておく必要があります。

 

それに、多くの国で、人は18歳や20歳になると「成人」とみなされます。

 

成人とは、心身ともに独立した存在の「人」になること、親の教育や保護がなくてもやっていける力があることを指します。子どもが本当の意味で成人になった時、親子は愛情によってつながる個々の独立した存在に変わります。

 

日本と台湾は、どちらも自由で民主的な国家です。子どもを良い市民に育てるのは、親の責任だと思います。