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「印象に残るセンテンス」を瞬時に抽出する
東大のこの英文要約は70〜90字でまとめる形式だから、個別具体的な内容は捨象せねばならない。つまり、私がよく話す格言では「具体を捨て抽象を拾う」のである。優秀な受験生の場合、英文全体をながめて、印象に残るセンテンスはこの文章とこの文章ですね、などと指摘することがある。その姿勢で良い。つまり、以下のような簡単な構図を短時間にこしらえることができればよい。
①「ゾウと1秒ではどちらが大きく思えるか」という奇妙な問い
→② その問いに対して多くの者はゾウと答えた
→③ 多くの者がそう答えた理由は、異質なもの同士を比較する場合
→④ 我々はそれぞれの大きさを、同質な類型の中の平均値と関連づけて判断するからだ、
というような具合である。
【解答例】
ゾウと1秒はどちらが大きいか、との問いに多くの人がゾウを推すのは、異質なもの同士の比較の際に、我々は本能的に同質な類型の中での平均値と結びつけてその判断をなすからである。(85字)
名著の中に出てきた、「ゾウとニンジン」の話
本問で問われている内容と少々趣旨は異なるが、関連の話をしておこう。こちらは平等という概念と比較の問題を述べているので、少しニュアンスは異なるが、本問に接し思い出されたのは、「人間の権利」(村井実著・講談社現代新書)24頁の記述である。本書は57年前に刊行された書物だが、名著であり示唆に富んでいる。以下に24頁の記述を引用しよう。
『平等ということばは、ふつうは、ものを比較するときに使うことばです。つまり、ものが平等かどうかを考えるためには、ちゃんと比較できるような性質や数量がなければなりません。たとえばわたしたちは、ぞうとにんじんをくらべることはしません。
ぞうはぞうのあいだで、にんじんはにんじんのあいだで、それぞれの大きさや目方や色などをくらべるだけです。したがって、わたしたちは、「ぞうとにんじんは平等である」などとはいいません。』
偶然であろうか。比較の話で、ここにもゾウが登場する。実際は、ぞうとにんじんは大きさの観点からは比較可能である。普通に考えれば、何トンもの大きなにんじんは存在しないから、勿論ぞうが大きい。だが、平等という概念で両者を見ると比較することはできない、と村井博士は述べているのである。
大きさでは比較できても、平等という観点からは比較不能なのである。比較の観点が異なれば、これまた変わるということだが、なんだか頭に効く話だ。参考までに記しておく。
小林 公夫
作家 医事法学者