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東大受験生のこの質問の推理のプロセス
なかなか興味深い問題だ。入試当時、この英文に接した東大受験生の心理状態を推測すると、およそ以下のようなものだろう。分析的に見ると、まず、この英文はアメリカへの旅の途上で著者が連れの者に暇つぶしに出題したクイズと、そこでのやりとりが題材となっていることは読み取れたであろう。
著者が出題したクイズは奇妙な問いとあるから、一風変わったもののはずだ。その通り、問いは「あなたにとってゾウと1秒はどちらが大きく思えるか?」という奇想天外な質問である。
多くの受験生はここで面食らったのではないか。何の話だろうと。だが、いやしくも東大受験生だから、secondを2番と訳す者はいないであろうし、問いの内容が書かれた英文のすぐ下に“secondは1秒の意味で2頭目のゾウではない”との断り書きらしきものがあるから推理力を働かせたはずだ。そしてこれは比較できない物の話だと、その場で開眼した受験生は多かったのではないか。まずはこの態度が重要である。
ただ謎は深まるばかりだ。ゾウと1秒はどちらが大きいか?と言われても、どうにも前提がおかしい。そもそも比較が可能なのか、と。
個別具体的な面白い話は切り捨て、抽象化する
そこで、さらに読み進めてみると、同乗者の1人である物理学者が1秒間に光は膨大な距離を進むので、大きさもその膨大な距離に等しい評価でなければならないと主張する記述が出てくる。だが、この奇抜な記述に目を奪われると、話は横道にそれていく。いわば通常人と専門家の視点の違いが述べられているにすぎないからだ。
物理学者の発想は例外で、この文章に惑わされてはいけない。記述自体も個別具体的な内容で、要約として抽出するには適さない。また、同乗者の多くは、奇妙な質問に対する答えとして、ゾウに1票を投じた、とあるから本筋の内容はむしろこちらなのである。合格する者はそのように判断し思考を進めたことだろう。
難解なのは、その後の展開だ。何故、人は、1秒よりもゾウを大きいと位置付けるのか、その背景である。その理由として、著者は慮る。ゾウは動物という分類の中では大きく、秒は時間の単位の中では小さいものとして位置付けられるからではないか、と。それを受けて、最終行では、個別的内容を抽象化して結論が導かれる。我々人間の本性の話である。
それは“異質な物同士を比較する場合、我々はそれらの同類の中での平均値と結び付けて比較する”傾向があるということだ。これが本文の「中心的命題」だ。すべての要約問題に共通するわけではないが、最終行に近いところに結論めいた内容が潜んでいることが多い。合格者の多くはそう踏んだであろう。