居場所の欠如を過食で紛らわすも、症状は悪化
ここからは愛着アプローチによって、不安定な愛着が解消した事例を紹介する。
【事例:過食嘔吐をくり返す大学生】
大学四年生の女性・菜穂さん(仮名)が、過食と嘔吐が止まらず、うつもひどく、大学を休んでいると、母親とともに相談にやってきた。父親は一流企業の研究所に勤めるエリートで、兄も一流大学を出てエリートの道を歩んでいる。菜穂さんも決して成績は悪くなかったが、超優秀な兄に比べると、平凡な子と見られていた。
実際には、とても思いやりがあり、人の気持ちがわかる子だともいえたのだが、成績や学歴を偏重するその一家にあっては、やや影の薄い存在だったのだ。しかしつい最近まで、母親はまったく娘の異変に気づいていなかった。母親の予定通りにすべてうまくいっていると思っていたのだ。
実際、就職も内定し、後は卒業までにゼミと卒論が残されているだけだった。ところが、そのゼミに出られなくなったのである。娘の動静に注意を払うようになった母親は、娘が異常な行動にふけっていることを発見する。大量の食料を買い込んできてはそれを深夜に貪り食い、トイレにこもって戻していたのだ。
以来、母親は娘の行動を監視するようになったが、最近では、母親の監視の裏をかくように、部屋でビニール袋に戻して、こっそりトイレに捨てたりしている。母親は娘の異常な行動に戸惑うとともに、娘に裏切られたという思いにいら立っていた。ゼミに出られないと、せっかく内定をもらったのに卒業できなくなってしまう。焦りから、娘を責め立てたり、嘆いたりするばかりだった。
菜穂さんに話を聞くと、母親にはずっと以前から、本音で話すことや相談することはなく、いいことだけを伝えるようになっていたという。どうしてなのか、その理由を問うと、本当のことを伝えれば、母親は過剰反応し、責めたり干渉したりしてきて、大変なことになるのがわかっていたからだという。
だが当の母親は、「娘は何でも話してくれていた」と言い、自分はとてもいい母親だと、今でも思っているようだった。それなのに、なぜこんなことになってしまったのか。不可解でたまらず、その原因が知りたいようだった。「いったい、娘の病気は何なのですか」と、医師に詰め寄らんばかりの剣幕だった。
菜穂さんがゼミに出にくくなったきっかけは、些細な失敗を他の学生に笑われたことがあり、そのことから人目を気にし、異様に緊張するようになったことが関係しているようだった。菜穂さんは自信も居場所もなくしてしまい、その傷ついた気持ちを、異常に大食することで紛らわしているようだった。
うつ、摂食障害、不安障害…診断名で納得するのは危険
医学モデルから、菜穂さんの症状を説明しようとすると、「非定型うつ病」「摂食障害(強制嘔吐を伴う過食症)」「社会不安障害」といった診断名がつくことになる。非定型うつ病は、うつ病の特殊なタイプとされ、過食や過眠を伴うのが特徴である。菜穂さんの母親は、菜穂さんの状態がその病気の症状だと知って、納得した様子だった。
しかし、非定型うつ病でいう過食は、普段より食欲が増すというレベルの話であり、菜穂さんのように大量の食料を食べては戻すとなると、非定型うつ病の診断だけでは説明がつかず、摂食障害という診断もつくことになる。また、過度な緊張や不安のために、人前に出るのを避けるようになる状態を、社会不安障害(社交不安障害)というが、菜穂さんにはその症状もあるようだった。
このようにいくつも診断名がついてしまうというケースでは、愛着の問題がかかわっていることが多い。このケースも、まさにそうしたケースだったのだが、症状に目を奪われすぎると、問題の本体が置き去りになってしまう。
ここで通常の医学モデルの場合には、右に並べたような診断に基づき、症状を何とか改善するためにと治療を始めることになる。そしてたいてい事態は泥沼化し、治療は行き詰まっていく。それを避けるためには、症状に目を奪われず、問題の本体に働きかけていくことが大事なのである。
そこで筆者は、「過食嘔吐や大学を休んでいることについてはいっさい何も言わず、放っておいてください」と伝え、その代わりに、本人が求めてきたら優しくかかわることと、和やかに会話しながら食事を楽しむことなどをお願いした。それとともに、取り組んでもらうことにしたのは、娘だけでなく、母親の方にもカウンセリングに通ってきてもらうことだった。
だが母親は、そう言われたことが面白くないようだった。娘の病気なのに、自分にも非があると思われているのではないかと、不服だったようだ。「どうして自分がカウンセリングに来なければならないのか」と、しばらく抵抗を示した。自分は立派な母親だという自負があるらしく、娘へのかかわり方をとやかく言われること自体、プライドが許さないようだった。
しかし、こちらに不満をぶつける一方で、やはり娘を思う気持ちも強く、半信半疑ながら、こちらの助言に従ってカウンセリングに通い、娘へのかかわりを変えていった。すると菜穂さんの状態はみるみる落ち着き、過食嘔吐もぐっと減り、やがてなくなったのだ。
論より証拠である。状態が良くなるのを見て、母親もようやく、こちらの言うことを受け入れるようになった。その後のカウンセリングを通して、頑固だった母親も、自分が娘を、いつのまにか顔色一つで支配し、親の価値観を押し付け、否定的な評価を知らず知らずのうちにしてきたことに、ようやく気づくようになったのである。
菜穂さんは、無事に大学を卒業後、就職し、就職先で知り合った男性とゴールインすることになった。
症状への対症療法は無意味…根本問題の治療を徹底
いくつもの激しい症状を見せる状態を前にして、症状に注意を奪われないということは、なかなか難しいことである。家族や周囲の人は、おろおろ戸惑い、嘆いたり怒ったり、感情的な反応になりやすい。「早く何とかしてください」とせっつかれて、治療する側も、つい症状を何とかしたくなり、そこに治療目標を置いてしまいやすい。
ところが、症状にターゲットを絞った瞬間、本当の回復から大きく遠ざかってしまう。なぜなら、症状は、問題の本体というよりも、そこから二次的、三次的に生じたものであり、いちばん川下に生じている、連鎖の最終段階に過ぎないからだ。
川下の問題を、一時的に改善したとしても、川上の問題が変わっていなければ、またすぐ悪化することになる。川下の症状を改善しようとすることは、幻の敵と戦うことになり、本当の問題の解決にはつながらないばかりか、症状も悪化をくり返し、次第に泥沼化し、治療も行き詰まってしまうことが多いのだ。複雑で難しい症状のケースほど、こうしたことになりやすい。
川上にある問題を改善しない限り、本当の回復は見えてこないのである。このケースの場合、川上にある問題は何だったのか。それは言うまでもなく、不安定な愛着の問題である。