(※写真はイメージです/PIXTA)

長時間の心肺停止から奇跡的に命を取り留めた父。しかし、現実とは残酷なものであり、停止中に酸素が脳へ供給されなかったため、意識を取り戻すことはないだろうという医師からの宣告を受けました。そして、家族は最後の選択をしなければならなくなってしまうのです。

間に合ってくれ!それだけ考えながら病院へ急いだ

答えの出ないまま、3日が過ぎました。私たち家族のなかには、もしかしたらこのまま小康状態が保たれるのではないか、という淡い期待も浮かび始めていました。その日の日中、父の姪が遠方から訪ねてくれ、親族は全員来てくれたことになりました。私も全員に通知できたこともあったので、いったん仕事の整理をするため、自宅へ戻りました。

 

夕飯を終え、風呂からあがったときでした。明日からまた、病院へ行こうと考えていると、私の携帯がなりました。「お父さんの容体が急変したって。私たちも間に合うかわからないけど、今から病院へ向かう」という母からのものでした。私もまた、そのまま着替えて、病院へと向かったのは言うまでもありません。

 

間に合ってくれ! それだけ考えながら病院への道を急ぎました。父のいたベッドに駆け付けると、そこには母と弟がいました。そして、父は穏やかな顔で寝ていたのです。あれだけ苦悶の表情を浮かべていた父でしたが、そのときの表情はにっこり微笑んでいるように見えたのです。不思議と涙は出ませんでした。悲しいというよりも、そうか、逝ってしまったのか、という思いだけが頭のなかにあり、ただベッドの脇に立っていました。ふと、人工呼吸器が外されていることに気がつきました。そうか、マスクがないから父の穏やかな顔が見られたのか。当たり前のことなのに、あとから気がつく不思議な感覚でした。

世話をするのではなく、共に生きることこそ、家族の姿

本来であれば社葬にして送り出してあげたかったのですが、コロナ禍ということもあり、家族葬にて父を旅立たせました。結局、最後の選択を迫られた私たち家族ではありましたが、その答えを出す前に、父は天に召されました。今でも、あのときにどういう選択をすればよかったのか、それはわかりません。もしかすると父は、そのような選択で私たちを苦しませないために、旅立ったのかもしれないね、という話をすることがあります。

 

高齢化社会の進む日本では、老化によるものや病気によるもの、さまざまな状況において介護という問題が家族を悩ませているでしょう。介護というのはこういうもの、というような書籍もたくさんあり、そこには介護する側が倒れないために、どのようにするのがいいといったことも書かれています。

 

たとえば介助の仕方など技術的な面で、よりよい方法はあるのです。このような道具を使えば、こんなこともできる、など新しいことも知ることができるので非常に有益ではあるでしょう。ただ、心の問題というのは、そのようなことでどうすることもできない、ということを強く感じました。そして、何をしたところで、残された家族には、もっとこうしてあげたらよかった、というような多かれ少なかれ後悔が残ります。この心の部分に関しては、その家族が乗り越えていかなければいけない試練でもあると感じました。

 

父の生涯は彼のものであるのですが、そこには共に暮らした家族がいます。介護というのは、まさに共に生きる、と考えるようになりました。世話をするのではなく、共に生きることこそ、家族の姿なのかもしれません。

 

父が亡くなって、半年以上の月日が流れました。遺影の父は、微笑みを浮かべています。まるで私と家族を見守るような柔らかい笑顔。そして私は毎朝、この遺影と対話しながら、今日も一日、家族と共に生きようと思うのです。
 

 

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