自宅介護を家族と支え合う選択は決して楽ではない
世の中には、さまざまな家族構成があります。祖父・祖母が同居している家もあれば、離れたところで暮らしているケースもあり、それぞれの環境や事情には大きな違いがあるものです。医師から告げられた専門施設での介護、という選択をどうするのか、という問題は、機械的あるいは効率的に考えたのであれば、即答で受け入れられるものなのでしょう。しかし、家族には思いがあり、そこには感情が存在します。それゆえ選択を迫られたときにはいろいろと考え、悩むものなのかもしれません。
実家へ向かう車のなかで、最初に思ったこと。それは、常にそばで介護をしている母のことでした。母自身も高齢であり、毎日ヘルパーさんが来てくださっているとはいえ、夜中にトイレや鼻が痒いといって一番起こされるのも母です。そのことを考えると、施設に預けて介護をしたほうがいいのではないか、とも思えました。家に帰りたいという父の気持ちと高齢の母。この2つを天秤にかけること自体、ナンセンスな気がしました。また、私たち兄弟の父への思いもあり、アリ地獄にはまったような抜け出せない気分でした。
疲れてしまっていたこともあり、夕飯は実家で出前を頼んだと思います。みんなで食事をしながら、母が最初に言った言葉。その言葉で、全員の覚悟は決まりました。
「お父さん、これまで家族のためにこの家を建てて、ずっと働いてきてくれたんだよね。私は最後まで、家で面倒を看てやりたいよ。家に帰りたいっていう願いくらい、叶えてあげたいよ」
家族で話し合い、出した答え
翌日、私たちは見舞いで父の部屋に立ち寄ったあと、先生のもとへと行きました。そして、家族で話し合い、出した答えを伝えました。それは、これまで以上に協力し合いながら、自宅での介護を続ける、というものでした。自宅での介護は、いろいろな機械や人工呼吸器などをそろえる必要があります。また、たとえ揃ったとしても、病院のような高性能のものではなく、24時間体制で医療従事者がいるわけでもありません。さまざまなリスクを背負いながら、そしてさらに厳しくなる精神的・肉体的な消耗もあるのです。
医師も最初は、もう少し考えてみてください、結論は今すぐではなくてもいいですから、とおっしゃってくれました。しかし、たとえそれがイバラの道であったとしても、父と母を最後までいっしょに生活させてあげたい気持ちが私たち家族のなかで確固たるものとなっていました。不治の病に侵されただけでなく最後は夫婦別離では、二重の悲劇にしか思えなかったのです。
正直に言って、この決断が一般的に正しいことなのか、間違っていることなのかは未だにわかりません。後日、ある知り合いからは、施設に預けたほうがいい、今はそういう時代なんだから、とも言われました。ただ言えることは、さまざまな選択肢やアドバイスがあるなかで、自分たちの根底にある気持ちに嘘をつかないこと、ではないかと思います。そうして選択した答えであれば、少なくとも自分たちの行動にしてしまう後悔は少ないように感じます。