「ハンコを押すつもりはない!」兄に連絡してみたが…
「ちょっと待ってください。私も母も、家族信託なんて聞いてませんし、納得していないのでハンコを押すつもりはありません」
そうきっぱり告げると、熊田は一瞬口ごもった。
「……とにかく一日も早く契約を結ばなければならないので、また連絡します」
そう言うと、彼は電話を切った。その後、英二は賢一に電話してこの件について尋ねてみたが、兄は「その件は、熊田さんに任せているので、よろしく頼む」としか言わない。
英二と信子は熊田のみならず賢一も信用ならないと考え、家族の間に不穏な空気が流れはじめた。
■税理士は中立とは限らない
英二さんが知り合いに紹介されて私の事務所を訪ねてきたときには、家族信託を巡って兄弟間に「争族」が勃発する寸前でした。
「父は認知症がかなり進行しているので、財産を兄に任せると自分で判断できる状態ではありません。内容に納得できないので、私は最後までハンコを押しませんでした。結局家族信託の話は流れましたが、はたしてその判断は正しかったのか……」
事情を説明した英二さんは、いまだにモヤモヤが晴れないようでした。家族信託の本来の目的は、信頼できる家族に自分の財産管理を依頼することにあります。
「使い方によりますが、家族信託は家族の財産を守るうえで時代に合致したよい制度だと思います。ところが近年、この家族信託を悪用するケースが増えているのです」
私は英二さんに、家族信託についてお話しした。
博史さん(お父さま)は、大阪の高級住宅街に多数の土地を持つ大地主です。しかし10年ほど前から認知症が進行し、現在は介護施設に入所している状態です。
一方、お母さまの信子さんは健康に問題はなく、今も実家で元気に暮らしています。長男の賢一さんは独身で定職に就いておらず、博史さんが経営しているアパートで一人暮らしをしています。サラリーマンの英二さんは実家を二世帯住宅に改装し、妻子とともにお母さまと暮らしています。
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「賢一さんがお父さまの営んでいた不動産賃貸業を継がれたということですね」
私がそう伺うと、英二さんは、「事業を継いだというか……兄は昔から定職にも就かずブラブラしていたので、父が会計を手伝わせていただけです。手伝いといっても、不動産賃貸業の収入と支出をエクセルで入力するだけですね。あとは、顧問税理士の熊田さんがまとめていたようですね」と説明してくれました。
その熊田さんが賢一さんに家族信託の利用を勧めたようですが、結果としてこの税理士の行動が「争族」の火種をおこしてしまったのです。