画期的な制度として注目を集めた「成果主義」
成果主義という言葉が語られるようになってから、すでにかなりの年月が経過しています。
当初は、多方面から注目され、画期的な制度として取り上げられました。バブルが崩壊して、未曾有の不況に突入した頃でしたので、各企業とも、何かにすがるかのごとく、「年功序列」に見切りをつけて、「新しい人事評価の仕組み」に移行していきました。
その頃、「成果主義」なるものを、転職先で初めて経験します。
転職した会社では、新しい人事制度として、成果主義に基づいた仕組みを構築したばかりで、実際に運用するのは初めてでした。制度は、多岐にわたる、複雑な要素で構成されていたのですが、大雑把にいうと、「個人の成果と、会社の業績に応じて、年俸が決まる」という内容でした。
年俸が前年を下回る社員が続出…一体なぜなのか?
そうこうしているうちに初年度が終わり、新制度に基づいて、「人事評価」が行われることになったのです。その年の会社の業績は良く、利益も予定通り確保しました。
間もなくして、各人の人事評価が、新しい報酬制度のもとで実施されました。すると、年俸が前年を下回る社員が続出してしまいます。
最大の理由は、成果に対する評価基準が曖昧で、上司によって判断がバラバラになってしまったことにあります。後で聞いた話ですが、中には「相性の悪さ」が、露骨に反映されたケースもあったようです。
もっと大きな誤算は、従業員の反乱です。
「昨年にも増して頑張って、成果を出して、会社も利益が出たにもかかわらず、我々の報酬が下がるのはどうしてだ。納得できない!」
表立ってではありませんでしたが、主力メンバーからの強烈な突き上げを食らって、結局「前年並みの給与を支給することになった」と記憶しています。
管理職の基本給が統一され、年配管理職の年収が大幅減
日系大手企業で働く知人の話によると、やはり、この頃に人事制度の見直しがあります。
それまで、ばらつきのあった管理職の基本給が統一された結果、年配管理職の年収が、大きく減ってしまいました。この仕組みは、後に、大量定年を迎える団塊世代の、人件費削減を兼ねた制度としても、うまく機能したようです。
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