長寿大国として有名な日本。しかし認知症や寝たきり状態になることが多いなど、残念ながら「健康寿命」は長いとは言えません。誰しも、できれば「死ぬまで健康でいたい」と思うものでしょう。健康寿命を伸ばすには、どうすれば良いのでしょうか? 意外なことに、そのヒントは「噛む」という日常的な動作に隠れていました。医学博士の筆者が解説。※本連載は野村洋文著『健康寿命は歯で決まる!』(イースト・プレス)の一部を抜粋し、編集したものです。

「うまく噛めない」は脳に異変が起きている可能性

「あなたが噛(か)んだ小指が痛い」という歌詞の昭和歌謡がありますが、噛む、と聞いて男女の仲を連想される方は、きっと非常に豊かな感性をお持ちでしょうね。うらやましい限りです。

 

普通の人は、噛む、と聞くと、食べることを連想します。専門用語で、噛むことを、咀嚼(そしゃく)すると言いますが、健康的で文化的な生活を営んでいく上で、咀嚼をきちんとすることが、いかに大切であるか、近年、ますます脚光を浴びております。

 

咀嚼。当たり前で単純な動作と思われるでしょうが、驚くなかれ、生命の維持を支えているのです。

 

今、単純な動作と書きましたが、とんでもないことでして、噛むという作業は、脳からの指令により、複数の器官を巧みに組み合わせ、複雑に動かして成しえる、高度な技術でもあるのです。

 

裏を返せば、噛むという動作は単純ではありませんから、うまく咀嚼ができない、という症状が出てきますと、認知症など脳の疾患を疑うこともできるのです。

「噛むこと」は寝たきり状態や要介護状態の回避策

ところで、平均寿命が日本は世界一であることは周知の事実です。しかしながら、健康寿命が他の国に比較して、とても短いことは意外と知られておりません。

 

この健康寿命というのは、健康上の支障なく、日常生活を送れる期間のことを言います。言い換えますと、平均寿命から健康寿命を引いた年数が、寝たきりの状態、また介護が必要な期間でもあるわけです。

 

これから述べてゆきますが、自分の歯でしっかりと咀嚼することで、健康寿命が延びる、つまり、介護の期間を非常に短くできることが、さまざまな研究からわかってきているのです。

 

また、噛むことは脳を鍛えることに直結しますので、きちんと咀嚼することで、いつまでも若々しい、フレキシブルな脳に保つことができます。最初に述べましたように、「健康的で文化的な生活」を、死ぬまで送れることができるのです。

歯は、脳に情報を伝える「最も敏感なセンサー」

噛むことがいかに生命の維持に影響を与えているか、という事実を、簡単に、わかりやすく説明させていただきます。

 

咀嚼を知る上で、顎を動かすための筋肉などを覚えなければならないのですが、そこから始めると、解剖学の勉強で終わってしまい、「噛む威力」という本丸にたどり着けません。ですから、それらの詳述は控えさせていただきますね。

 

噛んで、美味しく食べるためには、口腔(こうくう)内や、口腔周囲に生じる感覚情報が、脳内に正しく伝達され、その情報を基に、脳が口腔周囲の筋肉に、運動命令を正しく伝達する神経機構が必要であります。

 

先ほども述べましたが、そんなに単純な機序、動作ではないのですよ。ここで、最小限の知識として、歯で噛んだ刺激が、口からどのようにして脳に伝わるか、という簡単なプロセスを書きますね。

 

まず、歯は、歯の根の部分(歯根)が、顎の骨の中にしっかりと埋まり、植立しているのはイメージできると思います。

 

実は、歯根と骨の間には、わずかな隙間がありまして、歯根膜という繊維によって、歯はハンモックのようにつり下げられている状態にあるのです。この歯根膜には、靭帯(じんたい)として、歯と周囲の骨とを繫げている役割の他、重要なことですが、センターの役割をもつ受容体が存在しており、神経と繫がっているのです。

 

髪の毛などの非常に小さい異物を噛んだ時でも、このセンサーが敏感に働いて、「何か変なものを噛んだぞ」という情報を、神経を介して脳に伝えております。

 

驚くなかれ、歯根膜は身体の中で、最も敏感なセンサーと言われております。どのくらい敏感かと言うと、指先の何倍もの感度があるとされておりますよ。ちなみに、硬いものを噛んだ後などに、歯の浮いた感じがすることがありますね。歯根膜が過敏になり、さらに炎症を生じている場合、そのような状態になります。

 

その歯根膜が卵のからなどの異物を感知し、神経を介してその情報が脳に伝わり、咀嚼筋(噛むのに使用する筋肉)や上肢の骨格筋(骨を動かす筋肉)に対して、「噛むのを止めて、手や舌を使って、それを取り出しなさい」という指令を出します。

 

逆に、吐き出さずに飲み込む時にも、脳は指令を出し続けます。つまり、脳は、咀嚼している限り、休みなくずっと活動しているのです。

「歯の本数」が減るほど「脳の機能」も低下

ここで重要なことを書きますね。この歯根膜ですが、歯が抜けると当然一緒に無くなります。つまり、歯が抜けると、歯根膜のセンサーから脳に向かう神経繊維は速やかに消失することを意味します。

 

歯は親知らずを含めると全部で28本ありますから、1本抜けると歯から脳への情報入力は28分の1減少します。2本抜けますと14分の1減ることになりますね。歯が1本もない人は、人体で最も敏感なセンサーである歯根膜から、脳への情報が0になります。

 

脳の細胞は、活発に働いている間は、その機能をある程度維持することができると言われております。しかしながら、咀嚼することで衰えずに維持されていた脳の機能が、情報入力の減少で、低下する可能性もあるわけです。

 

情報とか入力とか、ややこしいことを述べてきましたが、まとめますと、咀嚼は単に、口腔内での消化活動を行うにとどまらず、脳を活性化させているのです。

 

その範囲は広範囲に及ぶことがわかっております。活性化される領域を考えると、学習・記憶・情動・免疫・運動・意欲といった高度な脳活動の一端を担っているわけでもあるのです。

噛むだけでスゴい効果…「ガム=お口の恋人」は真理

噛む、という作業がいかに大切なことであるか、少々、理屈っぽく述べてきました。ところで、噛むことを日常的に習慣にできる動作があります。

 

ネタバレしていますが、ガムを噛むことです。特に、ご年配の方がガムに抱くイメージは、正直あまり良いものではありません。食事以外の時間に、クチャクチャ口を動かすことは礼儀作法がなっていない、と嫌悪感を抱かれているようです。

 

ところがどっこい、ガムほど脳の働きに一役買っているスーパースターはないのです。大リーガーをはじめとするスポーツ選手が常にガムを噛んでいるのを見てもわかるように、ガムを噛むことで、運動パフォーマンスが向上することは明らかになっております。

 

「ガムを1ヵ月間噛んだ結果、非利き手によるダーツの成績が著しく上昇した」という臨床研究報告もあります。さらに、労働後の疲労を、ガムを噛むことで軽減できることも、実験結果から明らかにされております。

 

このように、運動・労働といった身体を動かすことへの影響もさることながら、記憶や学習能力といった知能への関与も強く示唆されております。これは、噛むという動作が、脳の中でも特に、学習・記憶と深く関わっている、前頭前野や、海馬という部分を活性化させるからなのです。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

さらには、ガムを噛むことでストレスを緩和できることもわかっております。ストレスがたまってくると、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌が抑えられていきます。よく噛むことで、セロトニンの分泌が促進されることがわかっておりますので、ストレスを打ち負かしてくれるのです。

 

セロトニンが枯渇していくと、うつ病発症の危険もありますので、ガムを噛むつ病の予防にもなるわけです。

 

事実、ガムを噛んでいると、リラックス状態でより大きく現れるα波という脳波の増大が顕著に認められるようです。

「健康的にいいことずくめ」なガムの噛み方

ガムといえば、むし歯予防として、キシリトール入りガムを噛む人もいるでしょう。市場に出回っているキシリトール配合ガムの多くが、含有量60%以下です。更に、残りの%にショ糖が入っているガムもあります。

 

ガムを噛む際、味が無くなったらすぐ「ポイ」、次のガムを噛み始める、という噛み方は控えましょう。そんな噛み方では、場合によっては歯の表面にショ糖が付きっぱなしの状態が続いてしまいます。当然、むし歯になりやすいですよね。

 

ですから、ガムを噛む時は、味が無くなってもしばらくは噛み続けてください。味の無くなったガムを噛み続けることで、歯、お口の掃除ができます。ガムの本領発揮は、味が無くなってからなのですから。

 

さらに、ガムを噛み続けることで、唾液の分泌も促進されますから、健康にいいことずくめの状態が出来上がるのです。

 

ガムの話を長々としてきましたが、最後に、ガムを噛む理想的な時間帯について述べさせてください。1日に3、4回、食事と食事の間に10分から20分、噛み続けるのが良いとされております。

 

 

野村 洋文

木下歯科医院副院長

歯学博士

 

 

健康寿命は歯で決まる!

健康寿命は歯で決まる!

野村 洋文

イースト・プレス

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