「読んでもらえる文章」は「、」の位置にワザあり
読点「、」をどこに打つべきかというのは、きわめて感覚的なものだ。いつも私は推敲しながら削除したり加えたりしているのだが、いくつかの法則に落とし込むことは可能である。
まず前提として、意味的な機能を狙って接続詞を使うときには「、」を打つ。つまり前段の内容を覆すときには「しかし、」「だが、」、前の段落を受けて発展させたいときには「だから、」「したがって、」などとすればいい。
そのうえで読点を入れるかどうかの法則は、次の3つだ。
まず1つめ。リズムをよくする調整役として接続詞を入れるときには、「、」は打たない。たとえば次のような文章である。
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<例>高速道路が渋滞している。どうやら大きな衝突事故があったらしいのだ。しかし困ったものだ。これでは大事な待ち合わせに遅れてしまう」
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「しかし」には「前に述べたことを覆す」という以外に、話題を転じるための「それはそれとして」、感動を込めるための「それにしても」という、3つの意味合いがある。この文中の「しかし」は、「困ったものだ」に感動を込めるための「しかし」だ。
それを「しかし、困ったものだ」とすると、どういう印象になるだろうか。こうすると「それにしても」の意味合いが失われるという、文法的な決まりがあるわけではない。だが前段の「どうやら大きな衝突事故があったらしい」を否定しているように見えて、どうも文章の調子が狂ってしまう。
ほかにも、いくつか挙げておこう。
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▼悪い例▼
①「そして、それは、私にとって、いままで味わったことのない素晴らしい体験となったのである」
②「嫌な予感が的中してしまった。だから、私は、くれぐれも気をつけるようにと言ったのだ」
③「彼は言葉を尽くして説明した。だが、彼女には、何のことやらさっぱり理解できなかった」
▼良い例▼
①「そしてそれは、私にとって、いままで味わったことのない素晴らしい体験となったのである」
②「嫌な予感が的中してしまった。だから私はくれぐれも気をつけるようにと言ったのだ」
③「彼は言葉を尽くして説明した。だが彼女には、何のことやらさっぱり理解できなかった」
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いずれも「そして、それは」「だから、私は、」「だが、彼女には」では調子が悪い。こういう場合には「、」を打たないほうがいい。
ひと息ついてほしいところに「、」
2つめ。音読したときに、ひと息つきたいところ(読者にひと息ついてほしいところ)に「、」を打つ。読者に息継ぎのポイントを示すイメージだ。ただし息継ぎポイントでなくても、「、」を入れないと読みづらくなるところには「、」を打つ。
読みやすい文章を書くために優先すべきなのは「語感」、つまり「リズムがいいこと」だ。息継ぎポイントに「、」を打つのもそのためだが、時には語感的には息継ぎポイントでなくても、「、」を打たないとひらがなもしくは漢字が続いて読みづらいことがある。その場合は視覚的な読みやすさのために「、」を打つ。
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悪い例:「音読したときにひと息つきたいところ」
良い例:「音読したときに、ひと息つきたいところ」
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この文章で語感を優先すると「音読したときにひと息つきたいところ」である。だが「したときに」と「ひと息」を区切らないと少し読みづらい。そこで「音読したときに、ひと息つきたいところ」とする。漢字でも同様だ。
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悪い例:「今書いたように、」
良い例:「今、書いたように」
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このように途中で「、」を打つことがある。これも優先されるべきは語感だが、連続する漢字を視覚的に読みやすくするための策である。
長すぎる修飾語の途中に「、」
そして3つめ。修飾的な文章が長くなり、どの節がどの節を修飾しているのかわからない場合は、視覚的な読みやすさを優先して「、」を打つ。次の文章を見比べてほしい。
▼悪い例▼
「母が祖母からもらい受けたときには従来の薄茶色がすっかり飴色に変わっていたといういまでは私の通勤用として活躍している鞄は誰からもほめられる」
▼良い例▼
「母が祖母からもらい受けたときには、従来の薄茶色がすっかり飴色に変わっていたという、いまでは私の通勤用として活躍している鞄は誰からもほめられる」
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そもそも文章が長すぎるという難点があるため、この文章の推敲では2〜3文に区切るという手もあるのだ。
ただし、あくまでも「、」の打ち方として取り組むならば、どうしたら読みやすくなるか。
いくつか考えられるが、もっとも「、」を入れるべきなのは「変わっていたという」のあとだ。なぜなら「母が祖母からもらい受けたときには〜変わっていたという」の節は、「いまでは私の通勤用として活躍している鞄」を修飾しているからだ。
さらに読みやすくするには、長い修飾語の途中にも「、」を打つ。したがって「母が祖母からもらい受けたときには、従来の薄茶色がすっかり飴色に変わっていたという、いまでは私の通勤用として活躍している鞄は誰からもほめられる」とするのが、まあ妥当なところだろう。
もちろん、あくまでも語感を優先したい場合には、多少、視覚的に読みづらくなることには目をつぶり、「、」を打たないという選択肢もある。そのつど何を重視するかは、自分の感覚で判断することだ。
重要なのは文法的あるいは慣習的な「正解」を探すことではない。伝えたいのは、自分自身の感覚でもって、こんな小さなところにまで目を配るクセをつけようということだ。読点1つにこだわる人は、すでにうまい文章を書く素質があるといっていい。
<ポイント>
●リズムをよくするための接続詞のあとに読点は打たない。
●音読したときに、ひと息つきたいところには読点を打つ。
●修飾的な文章が長く続いたら、読みやすさのために読点を打つ。
成毛 眞
書評サイト「HONZ」 代表
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