高齢者(65歳以上)の6人に1人が認知症を発症しています。自分・家族の「もしもの時」に備え、認知症の知識を身に付けておきましょう。今回は、石塚武美氏が、実母への介護経験を基に、症状改善に効果的な工夫や、老々介護に必要な心構えを紹介します。

「ところで、私の前にいるあなたはどなたなの?」

私の母親は、平成31年1月10日、103歳と10カ月と10日で亡くなりました。亡くなる3日前までおかゆを少し口に入れると食べていました。でも、誤嚥で肺炎になる心配が生じてきましたので、食べもの、飲みものを無理にはあげず、自然に眠るように亡くなりました。どこも痛がることなく、苦しむこともなく、穏やかな人生の卒業でした。私にとって悔いはゼロ。大満足でした。

 

母は栃木県の鹿沼市で大正4年3月1日、7番目の子として生まれました。28歳で結婚して供は二人。長女75歳と長男74歳(この本を書いている者です)です。鹿沼実科高等女学校時代はバスケットのキャプテンをして栃木県で優勝したことがあります。身長は150センチと低く体重は少し重めでした。

 

40歳ぐらいのときから股関節が悪くなりずっと杖をついていました。でも、常に前向き の考えでたくましく生きていました。65歳の時にひとりでカナダに旅行しました。69 歳まで自転車に乗り、その後75歳まで電動四輪車に乗って買いものなどに行っていました。

 

80歳あたりではワープロに挑戦してできるようになりました。最初に書いた言葉が「お父さん(夫のこと)は嫌いです」でしたが、すぐに、「本当は大好きです」と笑って言っていました。英語、手話も勉強していました。新しいものへのチャレンジ精神が旺盛でした。85歳あたりまでは何でも自分でして、料理作りも大好きでした。

 

その後、徐々に足腰が弱り、また、ものをつかんでも落とすことがあるようになりました。

 

87歳の時に夫が83歳で亡くなりました。このころから、もの忘れが多くなって認知症が出始めました。母親が料理をするときは火事が心配になるようになり、料理は家族が一緒にするようにしました。熱源もガスをやめて電気に変えました。このころから血圧と認知症の薬を飲むようになりました。

 

60歳のころから足の指にはひどい水虫がありました。80歳のころには足のふくらはぎを見るとたくさんの凸凹、いわゆる下肢静脈瘤が紫色をしていました。定期的に内科の先生
に訪問診察をしていただき、血液検査も受けて、母親の体のことはほとんど全てお医者さ
ん任せにしていました。

 

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認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫

認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫

石塚 武美

幻冬舎メディアコンサルティング

「ところで私の前にいるあなたはどなたなの?」 夕食時に母親から言われた一言をきっかけに、認知症改善への挑戦が始まった――。 おしゃべり、歌、マッサージ……。母親と過ごす毎日は光輝いていた。 日常生活における心掛…

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