新たなアイディアを生むただ1つの条件
「産婆術」が新しい知を生むには、1つ条件がある。「知ったかぶり」をしないことだ。面白いことに産婆術は、無知な者同士が語り合う場合は新しい知を誕生させる力となるのに、知ったかぶりをする人間に向けると、その人間の無知ぶりをさらけ出す「弁証法」に変わってしまう。
弟子のプラトンが書いた『プロタゴラス』や『ゴルギアス』では、ソクラテスが当代きっての天才と言われていた人物に、質問しに行く姿が描かれている。なんでソクラテスがそんなことをしたかというと、友人がデルフォイ神殿から「ソクラテスより賢い人間はいない」という神託をもらってきて、「そんなことはない。私は自分が無知であるのを知っている」と思ったソクラテスは、神託が何を意味するのか、確かめたいと考えたからだ。
ソクラテスは若者と語り合うときと同様、質問を重ねた。すると天才たちは、「それはこういうことだよ」と物知り顔に語り出す。それに対して、ソクラテスは質問を重ねる。すると、最後には「じつは私は、そのことについて十分知らないのだ」と、無知であることを白状しなければならなくなった。
これはじつに不思議なことだ。無知な者同士が「問い」を重ね合うなら、新たな知を発見できる「産婆術」になるというのに、「俺は誰よりも物知りだ」とふんぞり返って知ったかぶりをする者に問いを重ねると、「弁証法」へと姿を変えて無知ぶりを暴き出す恐るべき刃へと変貌するからだ。
知ったかぶりとは、「私の理解している通りにあなたも理解しなさい」という「押しつけ」だ。他方、無知を自覚して互いに問いを重ねる「産婆術」では、相手の意見を「あ、その視点は自分にはなかったなあ」と評価し、自分の意見を押しつけることなく、「今気がついたけど、こういう視点もありじゃないかな?」という「提案」になる。
産婆術で大切なのは、自分の意見を押しつけるのではなく、あくまで「物事の一面に気がついたよ」という提案にとどめ、相手の意見も新視点として歓迎することだ。そのコンセンサスがあれば、「問い」は相手を問い詰めるものではなく、新たな知を生み出すための触媒に変わるだろう。なお、相手に「争心」があり、建設的に話し合うコンセンサスが形成できない場合は、産婆術は使えないので、その場を立ち去るのがいいだろう。
<ポイント>
「問い」を発することにより、同じことを別の視点、角度から考えることを促す。すると、問われた人間が思ってもみなかったような発想を生み出す。違う角度から考えることを促す「問い」は、イノベーションの触媒になり得る。
篠原 信
農業研究者