「絶対にのし上がる」地獄の日々、チャンスに気づいた
中古車販売会社で最初に与えられた仕事は、販売用車の洗車と事務所の地面に這いつくばっての床磨きでした。入社したのは残念なことに真冬の1月。寒空の下、手がキンキンに冷えてものすごく寒いのです。敷地には150台くらいの車が並び、毎日のように黄砂が降る。やってもやっても終わりはきません。毎日1日10台以上の洗車。それが終われば床磨き。
面接で出会った所長は横を通るたび僕の顔を見て
「嫌やったらいつでも帰れよ」
と、嫌味を言ってきます。
「あざす」
(俺、なんも言うてないやん…)
今思えば、きっと僕の人となりを見て試していたのでしょう。当時の僕は腹を立てながらも歯を食いしばり、来る日も来る日も清掃に励むのでした。
毎日同じ仕事を繰り返す日々。いったいこんなことをして何の意味があるのかと、心が折れそうになることも何度もありました。
当時、仕事とは別でお世話になっていた先輩には、しょっちゅう「こんな仕事辞めたい」と愚痴をこぼします。しかし先輩はそんな僕の姿を見て、いつも励ましてくれたのでした。
「辞めたかったら辞めていいんじゃない? でもここで辞めたら、この先ずっと同じことの繰り返しだよ」
人格者であり日頃からリスペクトしていた彼にそう言われるたび、僕は「いいよやってやるよ」と何度も自分を奮い立たせては、洗車と床磨きに取り組むのでした。
そうして3ヵ月くらい経った頃、僕はふと気づいたのです。3ヵ月も続いているのだから、これはいつか社員になれるチャンスがあるのではないかと。そこから、僕の中であるスイッチが入ったのでした。
「いつか自分も正社員になって、営業マンとして活躍してやる―」
そんな気持ちを秘め、床を磨く僕の横で商談する社員の営業トークを一言一句漏らさぬよう、頭に叩き込んでいくことにしたのです。
そこから営業トークを盗む日々が始まりました。今思えばとても怪しい状況だったと思います。社員とお客さんが話す後ろで、床磨きをしながらスキルを盗んでいるのですから。
そんな状態で半年が経過した頃、突然所長から「明日から正社員や。営業として現場に立て」と言われたのです。
僕は待ってましたとばかりに、それまで密かに培ってきた営業トークを武器に、車を売りに売りまくったのでした。絶対にのし上がるという思いと、これまでのウサをはらす勢いで僕は喋り倒し、初月で当時所属していた支社の10人中3位という営業成績を打ち出すことができたのです。全国で420人中30位。初任給でもらった給料は55万円でした。半年前まで現場仕事で汗をかき、しんどい思いをしてやっと20万円を稼いでいた僕が、車好きという理由だけでこんなにもらえるのか。
もっと勉強したら、もっと上に行けるんじゃないか―?
お金を稼ぐ効率を考えるようになったのは、その頃からでした。この職場で最も多く給与をもらうにはどんな営業成績を上げればいいのか。歩合率などをすべて計算し、何をどうすれば一番効率よくお金を稼げるのかについて考えるようになったのです。
そうして営業スキルを磨きに磨いてみた結果、瞬く間にトップセールスマンへと上り詰めることができたのでした。正社員になった翌月には、営業成績全国1位という結果を打ち出したのです。給料はまたもや一気に跳ね上がり、2ヵ月目にして70万円。
そうして1年ほど働いたあと、稼ぐための効率について真剣に考えるようになった僕はサラリーマンの天井が見えたのでした。最大で僕がもらえる給料は月80万円。当時執行役員だった上司の年収は1000万円とちょっと。上を目指すのも一つだが、彼らは昔からいる。なかなか昇進はできないだろう―。そもそも不動産業に就きたかったことを思い出した僕は、中古車販売会社に勤めて1年、20歳になる頃、再び不動産会社への転職を決めたのです。