2015年、国連のサミットで採択された「SDGs」(Sustainable Development Goals)。SDGsとは「持続的な開発目標」のことであり、この取り組みは投資の世界にも変化を起こしています。すべての人が取り残されることなく支え合うというSDGsの精神を紐解きながら、「社会貢献を実現する資産運用」について考察します。本記事は『SDGs投資』(朝日新書)から一部を抜粋・再編集したものです。

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キーワードは共感と共助、そして共創

渋沢栄一は「一滴一滴が大河になる」という合本主義に基づき、銀行を設立し、日本の民間経済を拓きました(『大谷翔平の「二刀流」こそ、「これからの経済」のモデルである』参照)。

 

一滴のしずくには力がないけれど、集合させて流れができれば原動力となる。それと同じように、小さなお金を集め、国家の基礎となる大きな水流をつくりだそうとしたのです。
渋沢栄一の思想は実を結び、現在の日本の銀行をはじめ経済社会が存在しているといえるでしょう。

 

小さなしずくの一滴を集めるには、何が必要でしょうか。

 

キーワードは、「共感」です。

 

銀行には、資産家から一般家庭の方々まで、多くの人がお金を預けています。それは「我々の大切なお金を保管してほしい」という、共感の集まり。共感なくして、一滴の集合はあり得ません。

 

20年ほど前、私は大手ヘッジファンドに勤めていました。ヘッジファンド業界は「俺のカネを減らしたくない。毎年、殖やしたいんだ!」という絶対的なリターンへの欲求に基づいた富豪たちの共感で成り立ちました。翻って、社会活動やボランティアは、「無償でいいから他者を助けたい」という共感が人々の間から生まれ、みんなの力で実行されます。

 

共感は、散らばった存在を集める力があるのです。

 

ただ、人が集まっても、ワイワイがやがやしているだけでは意味がありません。共感があっても強弱や濃淡、得意・不得意、長所・短所、いずれもでこぼこです。いろんな人が集まったはいいけれど、事業として前進しない……ということは、しばしば起きます。集まった小さな力は、共に助け合わなくてはいけません。

 

共感と同じように、大切なキーワードが、「共助」です。

 

苦手なところ、弱いところを補い合い、でこぼこをなくせば、物事はスムーズに回り始める。一滴が流れへと変化していきます。

 

共感と共助を合わせること。いわば足し算ですね。それが合本主義の根幹になります。

 

足し算が成功したら、次のステップでは掛け算ができます。

 

合本主義における掛け算とは、「共創」です。創ることが繰り返しできれば、掛け算効果へとつながります。

 

共に感じた者たちが集まって、共に助け合い、共に大河の流れを創っていく。そんな共創こそが、渋沢栄一が真にイメージした社会像ではないでしょうか。

 

小さな力を集め、日本を共創する。渋沢栄一のその思想は多くの支持者を得ましたが、異論を発する人もいました。よく知られる「ライバル」は、三菱財閥の祖である岩崎弥太郎です。栄一と弥太郎は、郵船事業をめぐって、激しく対立したといわれます。それには複雑な経緯があるのですが、弥太郎が栄一の合本主義に懐疑的だったのは、たしかなようです。

 

弥太郎は小さなお金を集めて社会へ還元していくのは非効率で、「才能がある人物が資本と経営を一手に握らなければ、決してうまくいかない」という考え方でした。栄一の説く「一滴一滴が大河になる」主義とは、相容れません。

 

しかし、弥太郎と栄一は「東京海上保険会社」の創立に一緒に関わるなど、ビジネスマンとしての根底の部分では、つながっていました。ときにぶつかることはあっても、弥太郎もまた、栄一たちと一緒に社会を共創する、大河の一滴だったのかもしれません。

 

 

あああ
共に感じた者たちが集まって、共に助け合い、共に大河の流れを創っていく。

合本主義はステークホルダーキャピタリズム

渋沢栄一の合本主義は、国富論に近いでしょう。「民間力が高まらなければ国は豊かにならない」との確信から、出自に関係なく一人ひとりの努力が報われるような社会を目指していました。そこから民間の多くの人たちの出資で国の経済を強くし、そこから国民へ還元していくシステムを構想したのです。

 

岩崎弥太郎の考えていた資本主義とは、今でいう株主資本主義でした。企業価値とは株主価値を高めること。これは私が80年代に米国の経営大学院(MBA)で学んだときに教わった定義です。弥太郎の立場でなくとも、株主資本主義は当たり前の考え方でした。

 

時代は移り変わり、2020年現在、社会全体がSDGsの実走を始めました。そうしたとき渋沢栄一の合本主義は、幅広い有効性が認められます。

 

企業を運営していくためには、株主だけではなく、経営者が要ります。もちろん従業員も必要です。さらには取引先がなくてはダメですし、顧客、従業員たちの家族のサポートを含む社会など、様々な人の力が求められます。

 

総じると、それらはステークホルダーです。「利害関係者」と訳される言葉ですね。企業と利害関係を有するステークホルダーたちがそれぞれの役目を果たし、会社の価値を高めるという共感によってお互いの役目を共助すれば、強い企業価値をつくることができるのです。

 

渋沢栄一の合本主義は、現在、欧米が着眼し始めた「ステークホルダーキャピタリズム」と言い換えられます。

 

企業が提供する価値は、株主だけの価値に留まっている時代ではありません。経営者、従業員、顧客、取引先、そして社会など、広義におけるステークホルダーの価値を、まとめて創出していくことが求められています。これからの企業の存在意義とは、ステークホルダーの価値の最大化という時代なのです。渋沢栄一は約1世紀も前から、そのことを説いていたのです。

実社会でのサステナビリティとインクルージョン

『論語と算盤』は、渋沢栄一のトレードマークとなる思想論です。この本で説かれている思想は、ときに「倫理的資本主義」と解釈されることがあります。栄一自身も「道徳経済合一説」という表現を用いておりますので、間違いではないでしょう。

 

しかし、経済の話をするときに倫理とか道徳とかいわれても、戸惑う人は少なくありません。道徳経済合一説という言葉も、やや堅い。どこか他人事のように感じられる表現ですよね。「抽象論は興味ない」と敬遠されるのも、無理のない話です。講演会などで『論語と算盤』について話すときは、私はもうちょっとエッセンスを噛み砕き、渋沢栄一のこころを伝えています。それは多くの人にとって、〝自分事〞として受け入れられるような内容だと思います。

 

たとえば、『論語と算盤』の「算盤と権利」(第七章)のなかには、「合理的の経営」という教えが出てきます。

 

<経営者一人がいかに大富豪になっても、そのために社会の多数が貧困に陥るようなことでは、その幸福は継続されない>

 

これは、お金儲けを否定しているわけではありません。一人ひとりの努力によって、それぞれが仕事に就いて稼ぐことを、渋沢栄一は否定していません。むしろ、そのような意欲を持つべきだと考えていました。ですが、経営者が稼ぎの手段を選ばず、儲けを独り占めしてしまうこと。それは、結果的には自分自身の幸福にもならないんじゃないの? という論旨だと解釈できます。

 

別の章では、こんな指摘もあります。

 

<正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができない。したがって論語と算盤を一致させることが今日の大切な務めである>

 

「永続」のためには「道理」が必要だということです。

 

私は「継続」と「永続」というキーワードに着眼しました。つまり、渋沢栄一が『論語と算盤』で最も言いたかったことを今の言葉で表現すれば、「持続可能性=サステナビリティ」ではないでしょうか。

 

未来に向けてよりよい社会を継続していくためには、算盤勘定ができなければ〝サステナビリティはない〞のです。一方、算盤だけを見つめていると、どこかでつまずいてしまうかもしれない。また「自分は論語が好きで、お金儲けなんて卑しいことには関心ないよ」という方もいらっしゃるでしょう。それはそれで結構だとは思いますが、IT革命以降、世のなかが猛スピードで変化していくなか、論語しか読まないのではサステナビリティに欠けている姿勢ではないかと感じます。論語と算盤は、未来に向かって進む車の両輪です。片方が大きくて片方が小さくてもいけません。

 

サステナビリティともう一つ、『論語と算盤』から連想される言葉があります。インクルージョンです。

 

日本語では「包摂性」と訳されていますが、渋沢栄一が考えたインクルージョンというのは「結果平等」ではありません。渋沢栄一は「富の平均的分配は空想だ」と述べています。それぞれの才能、努力、成果に関係なく、お金は平等に、誰にも分け隔てなく、分配される──そんな社会は幻想で、理想的ではないということです。なぜかといえば、世のなかにはいろんな立場、いろんな才能を持った人が、バラバラに存在します。多様性という表現もできますが、要は社会全体をひとくくりで対処するのは、とても難しい。必死に努力する人がいる一方で、まるで努力しない、向上心のない人もいます。そのような状態で、同じ恩恵を受けることが当然な社会であるべきか? それは違うでしょう、ということです。渋沢栄一も、社会で弱者といわれる人たちも含む、それぞれの努力がそれぞれに報われる社会を目指していたのだと思います。

 

『論語と算盤』は、結果平等を謳ってはいません。しかし、機会平等は保たれるべきだと、語っています。

 

では、機会平等とは、何でしょう?

 

たとえば、社会で弱い立場の人々に対しては、福祉の施設や法整備で対応します。家庭環境や身体に問題がある人々には、それぞれの条件で自立できる機会をつくります。そのような「機会」の平等を、渋沢栄一は考えていたのだと思います。でなければ、600ぐらいの教育機関、社会福祉施設、今でいう「NPO」や「NGO」の設立に関与することはなかったでしょう。

 

豊かさは人によって違いはあっても、幸せになるための機会は万人がアクセスできる。そんなインクルーシブな社会を、渋沢栄一は思い描いていたのです。貧しい国の人を救うために、「魚を与えるのではなく、釣り方を覚えてもらいましょう」とよくいわれます。その考え方に近いでしょう。

 

今の世界は、インクルージョンであるか?

 

残念ながら、そうではないと私は感じています。

 

先進国でも貧富の格差は深刻化し、過激な思想組織によるテロ事件が毎日のようにどこかで起きています。排斥される人々は数多く、「自分たちは包摂されていない」「あらゆる機会を奪われている」という孤立感が、反社会的な行為を生む大きな要因になっています。これらは世界に蔓延する不安の大きな要素であり、我々皆の課題の一つです。

 

総中流社会を目指していた日本も、「インクルーシブな社会」であるとはいえません。小さな子どもが貧困家庭で苦しみ、しばしば最悪の結果となる事件が起きています。強い者が弱い者をいじめ、抵抗する手段の少ない弱い者は、苦しみ続けるか、命を落としてしまう…そんな酷い現実が存在します。

 

可能な限り多くの人たちが、平等な機会とそれぞれに合った幸福を得るためには、サステナビリティとインクルージョンが何よりも必要だと考えます。それは渋沢栄一の時代から変わらない、社会の理想像の根幹です。しかし、1世紀も前から唱えられても実現されない、とても困難な課題です。

 

けれども、潮目は変わりつつあります。もうお気づきですね、サステナビリティとインクルージョンを社会が獲得するヒント──それがSDGsなのです。

 

 

渋澤 健

コモンズ投信株式会社

取締役会長/ESG最高責任者

 

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