讃岐うどんの多くはオーストラリア産の小麦粉を使用
皆さんは、うどんを食べて感動したことがありますか? うどんは基本的に、小麦粉と塩と水だけでつくるシンプルな食べ物です。シンプルだからこそ、味をごまかせません。
つくりたてのうどんにしょうゆをちょっと垂らして嚙みしめると、強烈な歯ごたえを感じます。そして、嚙むほどにほのかな小麦の味わいが広がります。これは讃岐うどんならではの醍醐味です。
讃岐うどんは今まで4回ほどブームが起きています。
第一次ブーム:1970年の大阪万博があった頃、讃岐うどんの専門店ができはじめる。
第二次ブーム:1977年頃に脱サラや転業ブームに乗って起きる。
第三次ブーム:1987年頃からの外食産業の全盛期に起きる。加ト吉の冷凍讃岐うどんが大ヒットとなる。瀬戸大橋が開通し、四国の観光客が増えたという背景も。
第四次ブーム:2002年前後、はなまるうどんが渋谷に開店した頃に起きる。
(さぬき麺機株式会社資料参照)
うどんは西高東低と言われています。西の地方はうどん店が多く、東の地方はそば店が多くなるのだとか。これは関東の濃口しょうゆやカツオ節がメインの出汁(だし)は、うどんよりもそばにマッチするからかもしれません。私も関東で街場のうどん店を訪れ食べたときに、「これが噂の黒い出汁か……!」と思いました。
東日本に住んでいる方は、讃岐うどんを食べてうどんのおいしさに開眼した方が多いでしょう。関東のうどんブームは讃岐うどんから始まったと思います。
あまり知られていませんが、本場の讃岐うどんの多くの店ではオーストラリア産の小麦粉を使っています。実は、讃岐うどんがおいしいと言われるようになったのは、オーストラリア産の小麦粉を使うようになってから。
讃岐うどん独特の強い弾力のある歯ごたえが、オーストラリア産の小麦粉によって生まれているというのは意外かもしれません。昭和40年代前半から使い始めていたので、50年ぐらい前から地粉ではなくなっていたのです。
一方、丸亀製麺は「きたほなみ」という北海道産の小麦粉のみを使っています。この品種は国産でありながら、オーストラリア産の小麦に匹敵する新品種だと言われています。小麦の香りと甘みも強く、麺にピッタリなのです。
いろいろな小麦粉を試してきましたが、今は「きたほなみ」だけを使い、こだわりの挽き方でオリジナルの小麦粉を生産しています。
さらに、出汁は讃岐うどんの特徴であるうまみがあり、透明感のある出汁を再現するために、すべて天然の素材で作っています。真昆布(まこんぶ)にさば節、ウルメイワシなどの魚の削り節とアゴ(トビウオ)、さらに手間暇をかけて仕上げる手火山式(てびやましき)の本枯節のカツオ節を加えて、一時間じっくりと煮ているのです。
実は、私自身も丸亀製麺の味に惚れ込んだファンの一人です。私は、トリドールに入る前も外食業界で働いていましたが、とくにうどんが好きというわけではありませんでした。転職先を探して丸亀製麺に足を運んだときも、「いくらおいしいといっても、所詮うどんだろう」と心のどこかで思っていました。
ところが、一口食べてみて、「なんだ、これは!」と驚いたのです。コシが強くて、ツルツル、しこしこという表現がピッタリな麺の歯ごたえ。カツオの香りがふわっと漂い、昆布のうまみが豊かな出汁。それが一杯280円(当時)!
トリドールの転機は「80年代のチューハイブーム」
丸亀製麺の正式名称は、「讃岐釜揚げうどん 丸亀製麺」です。その名前を聞くと「香川の麺職人が立ち上げた店なんだな」と思うかもしれません。そんな皆さんの想像に反するかもしれませんが、社長の粟田貴也(あわたたかや)は元々麺職人ではなく、兵庫県で焼き鳥店を創業した人なのです。
粟田社長は学生時代に飲食店をやろうと決め、大学を中退して起業資金を稼ぎ、1985年に兵庫県加古川(かこがわ)市に焼き鳥店「トリドール三番館」を開店しました。1号店なのに三番館なのは、「3店舗まで開きたい」というささやかな願いを込めたから。当時は、奥さんと二人三脚で店を切り盛りしていたといいます。
焼き鳥店を開業したとき、24歳のやる気に逸(はや)る粟田社長を待ち構えていたのは、厳しい現実でした。当初は焼き鳥ならぬ、閑古鳥(かんこどり)が鳴く状態だったのです。
原因は、老舗の焼き鳥屋がすぐ近くにあったことです。限られた資金での開業だったので、立地条件は二の次だったのかもしれません。夕方5時に店を開けても、12時の閉店時間まで誰も来ない。そんな状況がずっと続きました。
そこで、ある日明け方まで深夜営業をしてみると、ポツポツとお客様が来ることに気づきました。ほかの店をハシゴしてきたお客様が利用するようになったのです。それからは、深夜営業の店として何とか続けていましたが、苦しい経営状況なのは変わりませんでした。
転機が訪れたのは、80年代のチューハイブームが起きたときです。その当時は若い女性が気軽に入れるような居酒屋が少なかったので、店をおしゃれな洋風の焼き鳥居酒屋に改装したのです。
この試みは大当たりして、店は連日若い女性客で満席。その勢いに乗って、2店舗目、3店舗目と店を増やし、あっという間に8店舗になりました。当時の様子は、「飛ぶ鳥を焼く勢いだった」と今でも社内では語り継がれています。
ところが、その成功を目にした人がすぐにマネをしはじめ、若い女性向けの居酒屋が次々と開店し、トリドールは瞬く間に失速していったのです。このとき、粟田社長は「奇をてらったことをするとマネされる」と悟り、商売の王道路線を進む重要さを痛感したといいます。
とくに地方でメインとなるお客様は、子供連れの家族やお年寄りなどのファミリー層。その地域で一番愛される店になるには、流行に敏感な若い女性に的を絞るのではなく、幅広い層に満足してもらえる店にしなければならないのです。
悩みに悩んだ粟田社長がたどり着いたのは、
・大衆性
・普遍性
・小商圏対応
の3つが重要だという結論でした。要するに、「地元密着型で、幅広い年齢層のお客様が日常的に足を運び食事を楽しめるお店」が長く生き残るということです。
そして、ファミリー向けの和風焼き鳥ダイニングに変えると、再び活気を取り戻しました。
おそらく、多くの人は「この3要素だと特徴がなく、差別化を図れないのでは?」と感じるでしょう。今までにない斬新で目新しいものがヒットする条件のように思いがちだからです。
確かに、短期的なヒットを狙うのなら、斬新なものでブームを狙ったほうがいいでしょう。しかし、ブームはすぐに終わります。天むすや肉巻おむすび、ナタデココやベルギーワッフルなど、当時はものすごい勢いで売れていましたが、今では一部のお店でしか見かけなくなりました。
単発的なアイデア勝負でいくのも、ビジネスの一つの手法です。けれども、資金や人手が限られていて、景気がそれほどよくはない状況でクリーンヒットばかりを狙い続けるのには限界があります。
大衆性、普遍性、小商圏対応といった王道の中で、差別化を図る道筋を見つけるのが、長く売れ続ける秘訣なのです。
小野 正誉
株式会社トリドールホールディングス 経営企画室 社長秘書兼IR担当