東京地裁に真っ向否定された「王道の相続税対策」
令和元年、税理士にとって衝撃的な判決が出た。これまでわが国において相続税対策といえば、借金して不動産投資が王道であった。地主にとっての賃貸アパート建築、金融資産家にとっての区分所有マンション投資は、いずれも不動産業者から大々的に宣伝され、資産家にとって当然採るべき相続税対策だと認識されてきた。これは、個人財産を金融資産として所有するよりも、不動産として所有するほうが、相続税が安く計算される相続税法の規定を活用したものである。
しかし、令和元年8月27日の東京地裁の判決(令和元年8月27日、東京地裁の判決、平29(行ウ)539号「相続税更正処分等取消請求事件」)では、不動産の財産評価において、相続税法に規定される計算方式が否定され、他の計算方式(不動産鑑定評価)が採用された。今後、従前の実務慣行に従って、財産評価通達(以下、「評価通達」という)に基づいた申告実務を行っていては、納税者に不測の追加納税が発生する可能性が高い。
【参考】
財産評価基本通達
平成25年5月16日付け課評2-18による改正前の昭和39年4月25日付け直資56・直審(資)17による国税庁長官通達のこと。税理士が、相続税申告が行う際に、財産評価の計算式の拠り所とするもの。不動産の評価方法が規定されている。
そこで本連載では、今後の相続税対策として不動産投資を実行する場合、相続税法以外に何を考慮すべきか、また、裁判で評価通達の評価方法が否認された場合、どのような反論を行えばよいか議論したい。
前編となる本稿において東京地裁の判例を分析し、否認された根拠を理解する。後日掲載する後編において判決を分析し、今後の裁判で争点となりそうな部分を指摘する。
納税者が求めた「本件各更正処分等の各取消し」
本件被相続人の相続人である原告長男ないし原告二男の子供が、本件相続により取得した財産の価額を財産評価基本通達の定める評価方法により評価して本件相続に係る相続税の申告をしたところ、処分行政庁から、相続財産のうちの一部の土地及び建物の価額につき同通達の定めにより評価することが著しく不適当と認められる(本記事における下線はすべて筆者が追記したものである)として、本件相続税の各更正処分及び過少申告加算税の各賦課決定処分を受けたことから、本件各更正処分等の各取消しを求めた事案である。
行政処分庁は、更正処分等を行った理由として、相続開始時における各不動産の評価において、評価通達の定める評価方法(以下、「評価通達方式」という)によって評価することが著しく不適当であり、通達評価によらない評価方法が許されるための特別の事情があるからだと説明している。
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本件事案において、「著しく不適当」とされる理由は何か。
【参考】
評価通達11(評価の方式)
評価通達11は、市街地的形態を形成する地域にある宅地の評価は、原則として、路線価方式によって行う旨を定めている。
評価通達13(路線価方式)
評価通達13は、路線価方式とは、その宅地の面する路線に付された路線価を基とし、評価通達15から20-5までの定めにより計算した金額によって評価する方式をいう旨を定めている。
争いの対象となった、杉並と川崎の「2つの不動産」
相続人は、長男、長女、二男および養子に入った孫(二男の子供)の5人である。
ここでの争いの対象となる不動産は2つあり、杉並区の賃貸マンション1棟と川崎市の賃貸アパート1棟である。
杉並区の不動産は、JR中央線の駅から徒歩約5分に立地する共同住宅(44戸)及び保育園(1戸)として利用されている建物であり、基準容積率をほぼ完全に消化した状態で所在していた。
これは、被相続人が、平成21年1月30日に、8億3,700万円で購入したものであった。その際、被相続人は、銀行から6億3,000万円を借り入れている(会社、妻、長男及び二男が連帯保証)。
ここで注目すべき事実として、銀行が作成した貸出稟議書の採上理由欄には「相続対策のため不動産購入を計画。購入資金につき、借入の依頼があったもの。」との記載があったことである。この稟議書が行政処分庁から証拠書類として裁判所に提出されている。
一方、川崎市の不動産は、JR東海道本線の駅から徒歩約13分に立地する共同住宅(39戸)として利用されている建物であり、基準容積率をほぼ完全に消化した状態で所在していた。
これは、本件被相続人が、平成21年12月25日に、5億5,000万円で購入したものであった。その際、被相続人は、妻から4,700万円を借り入れるとともに、銀行から3億7,800万円を借り入れている(会社、妻、長男及び二男が連帯保証)。
ここでも注目すべき事実として、銀行がその際に作成した貸出稟議書の採上理由欄には「相続対策のため本年1月に630百万円の富裕層ローンを実行し不動産購入。前回と同じく相続税対策を目的として第2期の収益物件購入を計画。購入資金につき、借入の依頼があったもの。」との記載があったとのことである。この稟議書も同様に行政処分庁から証拠書類として裁判所に提出されている。
行政処分庁は「通達評価額」と「時価」の乖離を問題視
まず、判例では相続税法22条※1に規定する「時価」が意味するところを定義している。
※1 この章で特別の定めのあるものを除くほか、相続、遺贈又は贈与により取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価により、当該財産の価額から控除すべき債務の金額は、その時の現況による。
【参考】
相続税法第22条(評価の原則)
この章で特別の定めのあるものを除くほか、相続、遺贈又は贈与により取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価により、当該財産の価額から控除すべき債務の金額は、その時の現況による。
相続税法22条に規定する時価とは、財産の取得の時における当該財産の客観的な交換価格をいうものと解されているところ、評価通達1(2)は、時価の意義について、課税時期において、それぞれの財産の現況に応じ、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価額をいい、その価額は、評価通達の定めによって評価した価額による旨を定めている。
これは、相続財産の客観的な交換価格を個別に評価する方法を採ると、その評価方法、基礎資料の選択の仕方等によって異なった評価額が生じることが避け難く、また、課税庁の事務負担が重くなり、課税事務の迅速な処理が困難となるおそれがあることなどから、あらかじめ定められた評価方法により画一的に財産の評価を行うこととしたものであり、納税者間の公平、納税者の便宜、徴税費用の節減という見地からみて合理的であるという理由に基づくものである。
そうすると、特に租税平等主義という観点からして、評価通達の定める評価方法が合理的なものである限り、これが形式的に全ての納税者に適用されることによって租税負担の実質的な公平を実現することができるものと解されるから、特定の納税者あるいは特定の相続財産についてのみ評価通達の定める評価方法以外の方法によってその評価を行うことは、たとえその方法による評価額がそれ自体としては相続税法22条に規定する時価として許容できる範囲内のものであったとしても、納税者間の実質的負担の公平を欠くことになり、基本的には許されないものというべきである。
相続税法22条は、相続税申告における不動産は、「時価」で評価することが原則であると規定する。しかし、「時価」の意味が明確ではない。
この点、評価通達が、「時価」の意味と実務上の取扱いを説明している。すなわち、相続財産の時価として、市場価格(不特定多数の当事者で自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価額)を適用すべきであるところ、実務作業を行うとき(申告書を作成するとき)は、評価通達に定める評価方法(以下、「通達評価方式」という)を適用すればよいと規定する。
評価通達によれば、土地は国税庁が公表する路線価等※2を使い、建物は市区町村が決定した固定資産税評価額を使えばよいため、頭を悩まさず、画一的に相続税評価額を計算することができる。
※2 固定資産税評価額に倍率を適用する方法(倍率方式)を適用する地域もある。
これは、不動産の市場価格を個別に評価する、正常価格を不動産鑑定士が評価するとしても、それは実務上困難が伴うし、仮に評価するとしても、課税庁の事務負担が重くなりすぎるため、実務上は通達評価方式によって評価すればよいとするものだ。これが最適な方法だというわけではないが、コストとベネフィットを総合的に勘案した妥協点が、評価通達に規定されているというわけである。
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ここで認識すべきことは、通達評価方式は、原則として、適用すべきものであり、例外が存在すると示唆していることだ。
しかし、評価通達の定める評価方法を画一的に適用するという形式的な平等を貫くことによって、かえって租税負担の実質的な公平を著しく害することが明らかな場合には、別の評価方法によることが許されるものと解すべきであり、このことは、評価通達6が、この通達の定めによって評価することが著しく不適当と認められる財産の価額は、国税庁長官の指示を受けて評価する旨を定めていることからも明らかである。
したがって、評価通達の定める評価方法を画一的に適用するという形式的な平等を貫くことによって、かえって租税負担の実質的な公平を著しく害することが明らかな場合には、評価通達の定める評価方法によらないことが相当と認められる特別の事情があるものとして、他の合理的な時価の評価方法によることが認められるものと解すべきである。
ここでは、原則的な評価方法を採用しないケース、すなわち、例外として、通達評価方式以外の方法を採用すべきケースが存在していることが説明されている。
本件各不動産の評価においては、以下のとおり、評価通達の定める評価方法によらないことが相当と認められる特別の事情がある。
(ア) 本件各通達評価額と本件各不動産の時価との間に著しい乖離があること
(イ) 本件各不動産に係る本件被相続人及び本件共同相続人による一連の行為
行政処分庁は、通達評価額と不動産の「時価」との間に著しい乖離があることを問題視している。また、不動産投資を活用した相続税対策に係る相続人の行為を問題視している。その際、「時価」として適用すべき評価方法として、取引価額(購入額および売却額)並びに不動産鑑定士による評価額を採用している。
すなわち、杉並区の不動産に係る通達評価額は2億4,000円であるのに対して、不動産鑑定評価額は7億5,400万円、購入額は8億3,700万円であった。通達評価額は、不動産鑑定評価額の約26.5%、購入額の約23.9%にすぎず、著しい価額の乖離がある。
また、川崎市の不動産に係る通達評価額は、1億3,366万円であるのに対して、不動産鑑定評価額は5億1,900万円、購入額は5億5,000万円、売却額は5億1,500万円であった。通達評価額は、不動産鑑定評価額の約25.8%、購入額の約24.3%、売却額の約26%にすぎず、著しい価額の乖離がある。
この状況を踏まえ、行政処分庁は、著しい乖離があり、それが「租税負担の実質的な公平を著しく害することが明らかである」と主張している。
残念ながら、何%の割合までの低下があれば、著しい乖離と判定されるのか、客観的な数値は示されていない。
ただ、ここでの数値の判定は「明らかである」とされていることから、低下した割合として記載された4つの数値のうち最大のもの、26.5%をターニング・ポイントとして認識することができよう。26.5%以下の水準まで低下すれば、行政処分庁から著しい乖離があると判定されるものと考えられる。
加えて、課税庁は、不動産活用による相続税対策を目的とした一連の行為についても問題視している。ここで指摘された行為は、以下の3点である。
すなわち、(1)被相続人が、当時90歳であった平成20年に、銀行に対して、自社の事業承継について「事業経営財務診断」を申し込んでいたこと、(2)被相続人による不動産の購入及び購入資金の借入れには、相続税の負担軽減の目的があったこと、(3)被相続人が、事業承継対策を目的として二男の子供と養子縁組した時期(平成20年8月19日)と近接した時期に、不動産を取得していること(杉並区の不動産は平成21年1月30日、川崎市の不動産は同年12月25日)である。
これらを根拠として、行政処分庁は、被相続人は専ら相続税対策を目的として不動産投資を行ったと結論づけている。
また、行政処分庁は、相続税対策の効果が、不動産以外の他の相続財産に及んでいることを問題視している。
すなわち、不動産購入に係る銀行借入金が、不動産の通達評価額を上回り、相続財産全体の課税価格を圧縮する効果が発生している。すなわち、共同相続人は不動産投資によって相続税の節税効果を享受している。このような状況は、相続税対策を行わなかった他の納税者との間の租税負担の公平を著しく害し、相続税の目的に反する著しく不公平なものだと主張されている。
そして、納税者に節税・租税回避目的といった主観的要素があり、相続開始前後に一連の行為があったというだけでは、通達評価方式によらないことが許される特別の事情には該当しないとする納税者からの主張に対して、行政処分庁は、相続税対策の存在を、特別の事情に該当するかどうかの判断材料としている判例(東京地裁平成5年2月16日判決・判タ845号240頁)を提示し、特別の事情に該当すると主張している。
【参考】
東京地裁平成5年2月16日判決・判タ845号240頁を始めとする多くの裁判例において、評価通達の定める評価方法による評価額と現実の取引価額との間に生じている開差を利用して相続税の負担の軽減を図る目的で行われた行為を前提とする相続について、「評価通達によらないことが許される特別の事情がある」と判示されているのであって、特別の事情の判断に当たり、節税目的や相続税負担の軽減目的があったことを考慮することが許されるのは明らかである。
加えて、不動産鑑定評価額は、不動産の客観的交換価値として適正に算定されたものではないとする納税者からの主張に対して、行政処分庁は、不動産鑑定評価額は、不動産鑑定士により不動産鑑定評価基準に準拠した方法(原価法による積算価格と収益還元法による収益価格)で算定されたものであって、これらの鑑定評価の手法はいずれも合理性があると主張する。
また、購入額や売却額は、いずれも不動産鑑定評価額に近似していることから、不動産鑑定評価額は適切な時価であることが裏付けられていると主張する。
そして、行政処分庁は、通達評価額と鑑定評価額が乖離する理由について、経済情勢、路線価方式による評価の特徴、貸家および貸家建付地に対して借家権および借地権の減額を行うこと、鑑定評価における原価法(積算価格)の評価の特徴を挙げて説明している。
納税者は、鑑定評価額と通達評価額の乖離は当然と主張
【参考】
評価通達6(この通達の定めにより難い場合の評価)
評価通達6は、この通達の定めによって評価することが著しく不適当と認められる財産の価額は、国税庁長官の指示を受けて評価する旨を定めている。
評価通達の定める評価方法による相続財産の評価は、合理性が担保されているものとして久しく実務界において実施されており、評価通達は、行政先例法としての地位を築いているといえる。そして、例外的に上記方法による評価額を否定し、これによらない評価を認める評価通達6の制定趣旨は、対象財産につき想定外の時価の下落事情が事後的に生じた場合に、評価通達が形式的に適用され、納税者の担税力が過大に測定されることが、担税力に応じた課税(租税公平主義)に反することに鑑み、このような場合に関する救済措置を設けた点にある。
そうすると、評価通達6に規定する「この通達の定めによって評価することが著しく不適当と認められる」場合とは、飽くまで時価評価に影響を及ぼす特別の事情があり、評価通達の定める評価方法によると実質的な課税の公平を確保できない場合を指すと解すべきである。行政の恣意性を排除し、明確性や予測可能性を担保する観点からも、上記の特別の事情は、災害、地盤沈下、土壌汚染等の客観的事情の発生に限られなくてはならない。したがって、時価評価に影響を及ぼすことのない、納税者等の節税目的や租税回避の目的といった主観的要素又は相続開始前後の一連の行為は、上記の特別の事情を基礎付けるものではない。
納税者は、通達評価方式によらず、他の評価方法を採用すべきケースは、時価が著しく下落した局面に限定されると主張する。すなわち、今回の事例では、不動産の時価の下落事情が事後的に生じた場合ではないため、評価通達6を適用すべきではないとする。
また、鑑定評価額と通達評価額との間に乖離が生じることは、評価手法が異なる以上、当然であり、通達評価方法のうち路線価方式は、合理性があるものとして広く社会に受け入れられているから、それを否定すべきではないとする。むしろ、鑑定評価額がおかしいと考えるのが先であり、実際のところ、今回の更正処分等の後に、該当する土地の路線価が間違っているとして、鑑定評価額に近づけための改定は行われていないだろうと主張する。
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さらに、納税者は、世間一般の相続税申告において、通達評価額と鑑定評価額の開差が著しいケースは多数存在しているのだから、今回に限ってそれを否認するのはおかしいだろうと主張する。
裁判所は、今回の相続を「特別の事情がある」と判断
裁判所は、行政処分庁と納税者との主張を踏まえ、不動産の時価について、以下のように判断を下している。
まず、相続税法22条に規定する時価の計算方法には、行政処分庁の言う通り、原則と例外があるとしたうえで、通達評価額が鑑定評価額の約4分の1(杉並区の不動産につき約26.53%、川崎市の不動産につき約25.75%)の額にとどまっていることから、今回の相続には「特別の事情がある」と判断している。
また、杉並区と川崎市の不動産以外の相続財産が6億9,000万円、借入金が9億6,000万円あったことから、借入金による債務控除が、課税価格を2,000万円まで引下げたられたこと(基礎控除を差し引いた結果として、相続税がゼロとなったこと)を指摘している。つまり、不動産の相続税評価と借入金(額面)の差額によってマイナス財産が創出され、他の相続財産に課されるべき相続税が消滅したことは、「特別の事情」だと判断している。
さらに、銀行の貸出稟議書についても、不動産投資によって生じる節税効果を計画していたことは、「特別の事情」だと判断している。
(後編に続く)
岸田 康雄
国際公認投資アナリスト/一級ファイナンシャル・プランニング技能士/公認会計士/税理士/中小企業診断士